デンボスとは? わかりやすく解説

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デン‐ボス【Den Bosch】

読み方:でんぼす

オランダ南部都市スヘルトーヘンボスの略称。


スヘルトーヘンボス

(デンボス から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 20:52 UTC 版)

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スヘルトーヘンボス
Gemeente 's-Hertogenbosch

シンボル: the Marsh Dragon
基礎自治体旗 基礎自治体章
位置

スヘルトーヘンボスの位置
位置
スヘルトーヘンボス
スヘルトーヘンボス (オランダ)
スヘルトーヘンボス
スヘルトーヘンボス (ベネルクス)
スヘルトーヘンボス
スヘルトーヘンボス (北欧と中欧)
座標 : 北緯51度42分 東経5度19分 / 北緯51.700度 東経5.317度 / 51.700; 5.317
行政
オランダ
  北ブラバント州
 基礎自治体 スヘルトーヘンボス
地理
面積  
  基礎自治体域 91.26 km2
    陸上   84.45 km2
    水面   6.81 km2
人口
人口 (2007年1月1日現在)
  基礎自治体域 136,499人
    人口密度   1602人/km2
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)

スヘルトーヘンボス('s-Hertogenbosch; [ˌsɛrtoːɣə(m)ˈbɔs] ( 音声ファイル))またはデン・ボスDen Bosch; [dɛm ˈbɔs] ( 音声ファイル)デンボスとも記述される)は、オランダ南部に位置する都市または広域行政区。北ブラバント州の州都。

ブラバント公アンリ1世の猟場であったことから、's-Hertogenbosch「公爵の森」と名付けられた。ただし、現代のオランダ語の日常会話では Den Bosch の方がよく使われる。

同広域行政区には、近隣の市町村 Bokhoven、Deuteren、Dieskant、Empel、Engelen、Gewande、Hintham、Kruisstraat、Maliskamp、Meerwijk、Orthen、Oud-Empel、ロスマーレンも含まれる。

歴史

1185年ブラバント公アンリ1世により自治を定める勅許状が発布された。ホラント伯、ゲルデルン伯からの侵攻を防ぐため、周囲に石塀を築いた要塞都市として知られており、中世には交易都市(特に羊毛)、芸術都市として繁栄した。

宗教改革以降、カトリック教会教区となったスヘルトーヘンボスは、八十年戦争にも抵抗を続けたが、1629年にオラニエ公フレデリック・ヘンドリックの軍門に降り、自治権の無いネーデルラント連邦共和国の占領区として扱われた。

1792年フランス革命軍の侵攻によりフランス帝国の支配下に置かれた後、1815年ネーデルラント連合王国が成立すると、スヘルトーヘンボスは北ブラバント州の州都として定められた。

観光地・観光施設

シント・ヤン教会

スポーツ

  • オランダサッカー協会に所属するプロサッカークラブFCデン・ボスの本拠地。
  • 2008年度フィールドホッケーオランダ代表となったHCデン・ボス (nl) の本拠地。
  • 1990年より、トップシェルフ・オープンATPツアー、WTAツアー)が行われている。

教育機関

カーニバル

カーニバルの様子

スヘルトーヘンボスで行われているカーニバルがオランダ最古(記録に残る限りで1385年)のものである。

カーニバル期間中、スヘルトーヘンボスは架空の国ウテルドンク("Oeteldonk": 湿地のカエル)と呼ばれ、ウテルドンク国プリンス、アマデイロ25世(2006年-)の統治下に置かれる。農夫が主役であり、他の地域のカーニバルに比べ華美な服装は少ないが、街はウテルドンク国のシンボルカラー(赤、白、黄色)で飾り付けられ、カーニバルを祝う音楽が鳴り止まない。

ウテルドンク

ウテルドンク(: Oeteldonk)の名前は、スヘルトーヘンボスの街を囲む湿地帯 (donk) と、その湿地帯に住むカエル (oetel) に由来すると言われている。

歴史

農夫ニリスとヘンドリーンの像

スヘルトーヘンボスでのカーニバルが、オランダ最古のものである。記録に残る限りでは、1385年には既にカーニバルの行事が行われており、15世紀、スヘルトーヘンボス出身の宗教画家ヒエロニムス・ボスもカーニバルを題材にした作品を残している。当時のカーニバルは、四旬節の断食を前に踊りと歌で祝う3日間の食事会であった。

カトリック教区であったスヘルトーヘンボスは、1629年にフレデリック・ヘンドリックの軍門に降り、以降カトリックの信仰が禁じられ、カーニバルの実施も禁止された(しかし、市民は秘密裏にカーニバルを祝っていたようである)。

1792年、フランス革命軍の侵攻によって、再びカトリック信仰を取り戻したスヘルトーヘンボスでは、カーニバルの行事が復活した。四旬節を前にした食事会に加え、リエージュから出稼ぎに来ていたガラス職人たちによって、彼らの伝統であった「ストリート・カーニバル」が行われるようになった。

労働者階級を中心にカーニバルは徐々に過激かつ暴力的なものになっていったため、ブルジョワジーらがカーニバルの実施に反対するようになったが、カーニバルを収入源とする民間企業の抵抗が強く、カーニバルが中止されることはなかった。しかし1881年、スヘルトーヘンボスの司教 Monsignor A. Godschalk が、カーニバルの中止をスヘルトーヘンボス市民に求めた。

暴力的なカーニバルに反対する市民グループは1軒のカフェ「Roijaal」に集まり、楽しめるカーニバルを目指し、「カーニバル期間中は、スヘルトーヘンボスの街を、架空の街ウテルドンクとすること」「ウテルドンクの街の住人はすべて、農夫か田舎娘となること」「ウテルドンクの街には(冗談の)市長が必要」という約束ごとを決定する。

1882年、最初の市長としてPeer van den Mugheuvelが任命され、ウテルドンクの伝統を守るため、De Oeteldonksche Clubが結成される。同クラブは、現在までスヘルトーヘンボスでのカーニバルを企画・統率する団体である。

1883年より、ウテルドンク市長に加え、ウテルドンク国のプリンス、アマデイロ氏(H.R.H. Prince Amadeiro Ricosto di Carnavallo, Reksamの騎士、ウテルドンクの君主、湿地帯と砂漠の支配者、……〈称号はまだまだ続く〉)と、架空の行政長官たちが任命されるようになる。

シンボル

ウテルドンクのシンボルには、以下のものがある。

ウテルドンク国旗
  • 三色旗:ウテルドンクの国旗。赤、白、黄で構成されている。
  • 農夫ニリスの像:カーニバル期間中、街の中心地Marktに立てられる。うるう年には、ヘンドリーンの像が隣に立てられる。
  • カエル:湿地帯のマスコット。

外部リンク

スヘルトーヘンボスのイベント

スヘルトーヘンボスの名物

ボッシェ・ボル(Bossche bol): スヘルトーヘンボスにて12世紀からつくられている、チョコレートでコーティングされたシュークリーム。中身は生クリーム。

スヘルトーヘンボス出身・由来の人物

脚注

[脚注の使い方]

注釈

出典

外部リンク



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