デメトリオス2世 (マケドニア王)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > デメトリオス2世 (マケドニア王)の意味・解説 

デメトリオス2世 (マケドニア王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 14:39 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
デメトリオス2世
Δημήτριος Β'
マケドニア王
在位 紀元前239年 - 紀元前229年

出生 紀元前275年
死去 紀元前229年
配偶者 ストラトニケ
  ニカエア
  フティア
  クリセイス
子女 アパメー3世英語版
ピリッポス5世
王朝 アンティゴノス朝
父親 アンティゴノス2世
母親 フィラ
テンプレートを表示

デメトリオス2世Δημήτριος Β' Αιτωλικός紀元前275年 - 紀元前229年)は、アンティゴノス朝マケドニアマケドニア王(在位:紀元前239年 - 紀元前229年)である。渾名の「アイトリコス」はアイトリア同盟との闘争に長年を費やしたことから付けられた。彼はアンティゴノス2世・ゴタナスの子で、息子はピリッポス5世である。

生涯

デメトリオスはアンティゴノス2世の在位中の紀元前260年に、デルディアでエピロス王アレクサンドロス2世を破ってマケドニアの存続を守るなど活躍をしていた。また、当時マケドニアに敵対する形で形成されたアカイア同盟とアイトリア同盟と対峙しなければならなかったが、彼はの間の駆け引きを巧みに操り、アイトリア同盟に与していたボイオティアを離反させることなどに成功している。しかし、エピロスで政府が転覆し、共和政が布かれると彼の立場は弱体化した。

またデメトリオスは、マケドニア北部から南下する蛮族も撃退せねばならず、ダルダニ族との戦いは熾烈を極め、王位を幼い息子ピリッポスに託して紀元前229年に没した。

子女

シリア王アンティオコス1世の娘ストラトニケ(従妹で母の異父妹にあたる)と結婚し、1女をもうけた。

エピロス王アレクサンドロス2世の娘フティアと結婚した。

クリセイスとの間に1男をもうけた。クリセイスは後にアンティゴノス3世と再婚した。

脚注

[脚注の使い方]



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「デメトリオス2世 (マケドニア王)」の関連用語

デメトリオス2世 (マケドニア王)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



デメトリオス2世 (マケドニア王)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのデメトリオス2世 (マケドニア王) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS