テノチティトラン建設までの伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/16 04:34 UTC 版)
「メシカ」の記事における「テノチティトラン建設までの伝説」の解説
伝説によれば、ナワ族は原郷である北方のアストランを離れて、いくつかの集団に分かれて別々にメキシコ盆地に移住した。メシカもウィツィロポチトリに命令されて移動したが、ナワ族の中で最後にメキシコ盆地に到達した集団だった。 ディエゴ・ドゥラン『ヌエバ・エスパーニャ誌』の伝える伝説によると、神官のメシ(Meci)に率いられて移動したために、集団の名をメシカとしたという。 楽園であるアストランにくらべて、メキシコ盆地への旅は長く苦しいものだった。 メキシコ盆地についてからも、すでにこの地に住んでいる他の集団と対立して何度も定住地を変えた。まず西のマリナルコに住むが、ウィツィロポチトリの姉である女神マリナルショチトルに攻撃された。次にチャプルテペク(バッタの山)に住むが、近隣の集団に攻撃された。ついでコルワカンの領主に従属してティサアパンという所に住んだ。ウィツィロポチトリはコルワカンの領主の娘を生き神とするように言うが、娘がやってくると生贄にした。コルワカンの人々は怒ってメシカを追い出した。 最後にテスココ湖畔に到り、島のサボテンに鷲がとまっているのを見て、そこをテノチティトラン(サボテンの地)と名付け、1325年に都市を建設した。 一部の人々は後にテノチティトランから分かれてその北にトラテロルコの町を建設した。トラテロルコは交易で栄え、アステカ帝国時代には帝国最大の市場になった。
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