テック家とエドワード8世の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 14:58 UTC 版)
「ホワイト・ロッジ」の記事における「テック家とエドワード8世の誕生」の解説
次にホワイト・ロッジに住んだのはテック公フランツとその妻メアリー・アデレード・オブ・ケンブリッジで、1869年に服喪中のヴィクトリア女王からその許可を受けている。メアリー・アデレードはジョージ3世の孫娘であり、ヴィクトリア女王の従姉妹にあたるが、派手好きでひどい浪費家として有名であった。女王に対してより多くの年金を与えるよう要求したが断られたため借金は増える一方となり、1880年代に債権者から逃れるために海外逃亡した。 1891年、ヴィクトリア女王は孫クラレンス公アルバート・ヴィクターの花嫁候補としてメアリー・アデレードの娘ヴィクトリア・メアリーを選んだ。しかし、1892年に結婚を数ヶ月前に控えたアルバート・ヴィクターが急死したことから、ヴィクトリア・メアリーは1893年にアルバート・ヴィクターの弟であるジョージ(後のジョージ5世)と結婚した。ヴィクトリア・メアリーは1894年に第1子(後のエドワード8世)を儲け、ヴィクトリア女王は曽孫に会うためホワイト・ロッジを訪れている。1894年7月16日にはホワイト・ロッジの緑の間でカンタベリー大主教エドワード・ホワイト・ベンソンに洗礼を受け、エドワード・アルバート・クリスチャン・ジョージ・アンドルー・パトリック・デイヴィッドと名付けられた。 その3年後にメアリー・アデレード、1900年にはテック公が亡くなった。
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