チリンギル捕虜収容所での起源
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「ドン・コサック合唱団セルゲイ・ジャーロフ」の記事における「チリンギル捕虜収容所での起源」の解説
赤軍への敗北に苦しんだ後、多くのコサックたちが離散することとなった。1921年にセルゲイ・ジャーロフがコンスタンチノープルに近いトルコの捕虜収容所チリンギルにおいて結成した合唱団の構成員はまさにこうしたロシア人難民たちであった。コサックたちは自分たちの教会での礼拝に参加するようになり、やがてギリシャのリムノス島へ旅立った。状況を改善するために、彼らは野外コンサートを行い、それは特にイギリス人たちの間で好評を得た。コサック軍の副官であったセルゲイ・ジャーロフは合唱団のレパートリーに力を注ぎ、やがて素晴らしい機会が訪れた。一団はチリンギルからブルガリアの町、ブルガスに移送されることになり、ロシアの外交使節によりジャーロフとその合唱団を教会に属させることが提案されたのだった。その教区は合唱団を抱えられるほど豊かではなかったが、それでも申し出は受け入れられ、合唱団のメンバーたちは副業を探すこととなった。
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