チャールズ・レノックス・ワイクとは? わかりやすく解説

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チャールズ・レノックス・ワイク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/29 03:45 UTC 版)

バニティ・フェア』1884年2月9日号におけるカリカチュアカルロ・ペレグリーニ画。

サーチャールズ・レノックス・ワイクSir Charles Lennox Wyke GCMG KCB PC1815年9月2日1897年10月4日)は、イギリスの外交官。在中央アメリカ英語版在メキシコ英語版在ハノーファー王国英語版在デンマーク英語版在ポルトガル英語版公使を歴任した[1]

生涯

ジョージ・ワイク(George Wyke)と妻シャーロット(旧姓メイリック)の息子として、1815年9月2日に生まれた[1]

1835年2月6日、エンサイン英語版(歩兵少尉)としてイギリス陸軍に入隊し、第38歩兵連隊英語版に配属された[2]。1838年1月9日、第7歩兵連隊英語版の中尉への辞令を購入して昇進した[3]。1839年8月、軍務から引退した[4]

1847年にポルトープランス副領事、1852年に中央アメリカ総領事(グアテマラニカラグアコスタリカホンジュラスエルサルバドルを担当)に任命され、1854年10月31日に代理公使に昇格した[1][5]。1859年8月8日に特命全権公使に昇格し[6]、16日にバス勲章コンパニオンを授与された[7]

1860年1月23日に在メキシコ特命全権公使英語版に転じ[8]、同年5月22日にバス勲章ナイト・コマンダーを授与された[9]。また同年1月28日にはイギリス代表としてニカラグアとのマナグア条約英語版を締結した[10]

1861年にベニート・フアレスメキシコ大統領に選出されると、メキシコ議会が同年7月17日に公債支払い停止を宣言し、これによりイギリスフランスがメキシコとの国交断絶に踏み切った[1]。ワイク以下大使館員は12月にメキシコシティを発ったが、ワイクはメキシコ出兵をめぐりフランス、スペインと交渉する必要があったためメキシコ国内に留まった[1]。もっとも、フランスがメキシコ政府を転覆する野心を明らかにすると、イギリスとスペインは手を引き、ワイクは帰国した[1]

1866年1月19日に在ハノーファー特命全権公使英語版に任命されたが[11]、同年に普墺戦争が勃発し、ハノーファー王国プロイセン王国に併合された[1]

ワイクは一時年金を受け取って引退したが[12]、1867年12月16日に在デンマーク特命全権公使英語版に任命され[13]、14年間務めたのち1881年6月22日に在ポルトガル特命全権公使英語版に任命された[14]。1879年8月29日に聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロスを授与された[15]。1884年2月21日に退職して年金受給者になり[1]、1886年2月6日に枢密顧問官に任命された[16]

1897年10月4日、生涯未婚のままチェルシーチェイニー・ウォーク英語版23号にある自宅で死去した[1]。遺体はケンサル・グリーン墓地英語版に埋葬された[12]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i Carlyle, Edward Irving (1887). "Wyke, Charles Lennox" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 10. London: Smith, Elder & Co. p. 225.
  2. ^ "No. 19237". The London Gazette (英語). 6 February 1835. p. 212.
  3. ^ "No. 19577". The London Gazette (英語). 9 January 1838. p. 55.
  4. ^ "No. 19758". The London Gazette (英語). 9 August 1839. p. 1565.
  5. ^ "No. 21625". The London Gazette (英語). 14 November 1854. p. 3461.
  6. ^ "No. 22297". The London Gazette (英語). 12 August 1859. p. 3069.
  7. ^ "No. 22298". The London Gazette (英語). 16 August 1859. p. 3108.
  8. ^ "No. 22351". The London Gazette (英語). 27 January 1860. p. 306.
  9. ^ "No. 22388". The London Gazette (英語). 22 May 1860. p. 1960.
  10. ^ "No. 22503". The London Gazette (英語). 19 April 1861. p. 1661.
  11. ^ "No. 23061". The London Gazette (英語). 19 January 1866. p. 322.
  12. ^ a b Carlyle, Edward Irving; Matthew, H. C. G. (28 May 2015) [23 September 2004]. "Wyke, Sir Charles Lennox". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/30126 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  13. ^ "No. 23333". The London Gazette (英語). 17 December 1867. p. 6877.
  14. ^ "No. 24994". The London Gazette (英語). 8 July 1881. p. 3404.
  15. ^ "No. 24757". The London Gazette (英語). 29 August 1879. p. 5274.
  16. ^ "No. 25560". The London Gazette (英語). 19 February 1886. p. 796.

外部リンク

外交職
先代
フレデリック・チャットフィールド英語版
在中央アメリカイギリス特命全権公使英語版
1852年 – 1860年
次代
ジョージ・ファガン
代理公使として
先代
ロフタス・チャールズ・オトウェイ
在メキシコイギリス特命全権公使英語版
1860年 – 1861年
空位
次代の在位者
ピーター・スカーレット閣下英語版
先代
ヘンリー・フランシス・ハワード英語版
在ハノーファー特命全権公使英語版
1866年
ハノーファー王国滅亡
先代
オーガスタス・パジェット英語版
在デンマーク特命全権公使英語版
1867年 – 1881年
次代
ハッシー・ヴィヴィアン閣下英語版
先代
ロバート・モリアー英語版
在ポルトガルイギリス特命全権公使英語版
1881年 – 1884年
次代
ジョージ・グリン・ピーター英語版



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