ソウル・シンガー
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しかし、バンドの勢いと逆行するように、大学進学を境にして、二井原自身の趣向はハードロックよりもリズム・アンド・ブルースやソウル・ミュージックへと原点回帰し、大学2年時の1979年には「ハードロックはもうやらない」とアースシェイカーから脱退。並行して在籍していた京都のR&Bバンド「Soul-Doo-Out」の活動に精力を傾注することで、ハードロック・ボーカリストからソウル・シンガーとなった。 この時期にムード歌謡グループ「ニック・ニューサ」のヒット曲「サチコ」のレコーディングにコーラスとして参加している。「ハードロックはやらない」発言の裏には、プロ志向が強かった石原に対して、当時はまだ自身の力量に自信をもてずにいた二井原が、プロを目指すことに二の足を踏んでいた胸中があったものの旨く伝わらなかったため、意図のすれ違いが生じたまま二人はしばらくの間絶縁状態となる。 佛教大学軽音楽部では同級生の藤村幸宏(Chachamaru)らとファンクバンド「青春会」を結成した。この時期、京都の有名なファンクソウルバンドとして「ITACHI(「TOPS」の前身)」等と活動した。
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