ゼレとルター派教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 03:17 UTC 版)
「ドロテー・ゼレ」の記事における「ゼレとルター派教会」の解説
ゼレのラディカルな言動は、当初、ドイツ福音主義教会において反発を呼んだ。しかし、次第に彼女の神学と信仰への共感が拡がりだした。ドイツの大学神学部は彼女に神学教授のポストを与えることはなかったが、彼女の出す神学書は多くの読者を世界中で獲得した。しだいに北ドイツのルター派教会において、一人の信徒に過ぎなかった彼女の存在が大きくなっていった。彼女の逝去後の2003年5月5日に彼女の追悼礼拝がハンブルクの聖カタリーナ教会でおこなわれた。ゼレの友人の一人でリューベックのルター派教会監督バルベル・ヴァルテンベルク=ポッターが告別説教を担当した。 「ドロテー・ゼレは預言者的であると同時に詩人的でもあり、新しい天と地という聖書の約束を研究生活の中心に置いていた人物でした。そこでは古い神理解による支配者というような言葉を使わずに、神と共に歩む新たな言葉を見つけ出すことを彼女は試みていました。そのゼレがドイツの諸大学に受け入られなかったことは第2次世界大戦後の教会史における最悪の愚行の一つでした」。 ゼレの影響力は死後も教会に拡がり続けている。2009年9月、ゼレの生誕80年を記念して、ノルトエルビエン福音ルター派教会の女性監督マリア・イェプセンはゼレを現代の預言者として評価した。同教会はハンブルクにある教会施設を、彼女の名前にちなみ「ドロテー・ゼレ・ハウス」と命名している。
※この「ゼレとルター派教会」の解説は、「ドロテー・ゼレ」の解説の一部です。
「ゼレとルター派教会」を含む「ドロテー・ゼレ」の記事については、「ドロテー・ゼレ」の概要を参照ください。
- ゼレとルター派教会のページへのリンク