セルヒオ・ガルシア (サッカー選手)とは? わかりやすく解説

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セルヒオ・ガルシア (サッカー選手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/22 17:04 UTC 版)

セルヒオ・ガルシア
エスパニョールでのガルシア (2012年)
名前
本名 セルヒオ・ガルシア・デ・ラ・フエンテ
Sergio García de la Fuente
ラテン文字 SERGIO GARCIA
基本情報
国籍 スペイン
生年月日 (1983-06-09) 1983年6月9日(40歳)
出身地 バルセロナ
身長 174cm
体重 72kg
選手情報
ポジション FW (WG) / MF (SH)
利き足 右足
ユース
1989-1993 ボン・パストル
1993-1995 ダム
1995-2002 バルセロナ
1997-1999 ダム (loan)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2002 バルセロナC 22 (11)
2002-2004 バルセロナB 60 (34)
2003-2005 バルセロナ 4 (0)
2004-2005 レバンテ (loan) 31 (7)
2005-2008 サラゴサ 90 (14)
2008-2010 ベティス 62 (21)
2010-2015 エスパニョール 145 (41)
2015-2017 アル・ラーヤン 31 (18)
2017-2019 エスパニョール 62 (4)
2020-2021 モンタニェサ 8 (3)
通算 533 (162)
代表歴
1999  スペイン U-16 2 (1)
2001  スペイン U-17 3 (1)
2001-2002  スペイン U-19 9 (7)
2003  スペイン U-20 11 (7)
2004-2005  スペイン U-21 11 (4)
2008 スペイン 2 (0)
2003-2019 カタルーニャ 16 (9)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
セルヒオ・ガルシア (サッカー選手)

セルヒオ・ガルシア・デ・ラ・フエンテ(Sergio García de la Fuente, 1983年6月9日 - )は、スペインバルセロナ出身の元サッカー選手。元スペイン代表。現役時代のポジションはフォワードミッドフィールダー

経歴

クラブ

バルセロナ

カタルーニャ州バルセロナ県に生まれ、FCバルセロナの下部組織で育った。2003年9月3日のセビージャFC戦(1-1)でトップチームデビューし、2003-04シーズンには4試合に出場した。2004年にはレバンテUDにレンタル移籍し[1]、レギュラーか控えフォワードの一番手としてトップリーグでも通用する選手であることを証明した。

レアル・サラゴサ

2005年夏、レアル・サラゴサに移籍した。サイドハーフとしてもフォワードとしてもプレーできることから利便性が高く、2006-07シーズンにレギュラーに定着し、2007-08シーズンにはリーグ戦38試合すべてに出場したが、結局はセグンダ・ディビシオン(2部)に降格した。クラブが降格したことでレアル・サラゴサを離れるのではないかという噂がいっそう煽られ、2008年夏にはプレミアリーグリヴァプールFCトッテナム・ホットスパーFCウェストハム・ユナイテッドFCストーク・シティFCなどが獲得に興味を寄せた。マルセリーノ・ガルシア・トラル監督はプレシーズンの練習から彼を除外し、2008-09シーズン開幕戦のレバンテUD戦も招集外となった[2]

レアル・ベティス

2008年9月1日、移籍市場が閉まる直前に1000万ユーロ近くの移籍金でレアル・ベティスと契約した[3][4]。9月27日のレアル・マドリード戦(1-2)ではPKを止められたが、イケル・カシージャスに弾かれたボールをゴールに押し込み、移籍後初得点を挙げた。11月16日のラシン・サンタンデール戦(3-1)では2得点を挙げ、2009年1月18日のレアル・バリャドリード戦(3-1)では1得点1アシストの活躍を見せた。2月8日に行われたセビージャFCとのセビージャ・ダービー(2-1)では記念碑的な勝利に導く得点を奪った。4月4日のCDヌマンシア戦(3-3)では先制点を奪ったが、ゴールパフォーマンス中に膝を滑らせ、左膝靭帯を負傷して1ヶ月ほど離脱した。チームはこの期間に調子を落とし、自身は2シーズン連続となるセグンダ・ディビシオン(2部)降格が決定した。チームに残ることを決意し、2009-10シーズンはセグンダ・ディビシオンで自己最多の12得点を挙げたが、プリメーラ・ディビシオン(1部)昇格に失敗した。

エスパニョール

2010年8月26日、ベテランのラウール・タムードレアル・ソシエダに放出したRCDエスパニョールと5年契約を結んだ。1年目は3ゴール、2年目は5ゴール、3年目は7ゴール、4年目は12ゴール、5年目は14ゴールとシーズンを追う毎に得点力を発揮し、リーグ戦145試合41ゴールを記録した。2013-14シーズンからは主将も務めるなど、チームの精神的支柱であり攻撃の要であった。

アル・ラーヤン

2015年6月29日、カタールのアル・ラーヤンSCに移籍することを発表した[5]。スペインのメディアによると、エスパニョールは移籍金150万ユーロ(約2億1000万円)を受け取り、セルヒオ・ガルシアは年俸250万ユーロ(約3億4000万円)の2年契約を結ぶと報道された。

エスパニョール復帰

2017年6月16日、古巣のRCDエスパニョールへフリートランスファーで1年契約を結び、2年ぶりに復帰した[6]

代表

カタルーニャ選抜でのセルヒオ・ガルシア(2013年)

各年代の世代別スペイン代表に選ばれた経験がある。2008年までスペイン代表キャップがゼロであったが、FWボージャン・クルキッチとの争いに勝利し、UEFA欧州選手権2008に出場するメンバーに選ばれた[7]。5月31日、ペルーとの親善試合でダビド・ビジャとの交代で出場して代表デビューした。UEFA欧州選手権2008本大会グループリーグの初戦と2戦目は出場機会がなかったが、決勝トーナメント進出を確定させた後のギリシャ戦にはフル出場し、88分に左足からの精度の高いクロスでダニエル・グイサの決勝点をアシストした。

カタルーニャ選抜としてもプレーしており、2009年12月22日に行われたアルゼンチンとの非公式親善試合(4-2)では2得点を挙げた。

個人成績

シーズン クラブ リーグ
リーグ 出場 得点
2002-03 バルセロナB セグンダ・ディビシオン 33 19
2002-03 バルセロナ プリメーラ・ディビシオン 0 0
2003-04 バルセロナB セグンダ・ディビシオン 26 15
2003-04 バルセロナ プリメーラ・ディビシオン 4 0
2004-05 レバンテ プリメーラ・ディビシオン 31 7
2005-06 サラゴサ プリメーラ・ディビシオン 19 4
2006-07 プリメーラ・ディビシオン 33 6
2007-08 プリメーラ・ディビシオン 38 4
2008-09 ベティス プリメーラ・ディビシオン 28 9
2009-10 プリメーラ・ディビシオン 34 12
2010-11 エスパニョール プリメーラ・ディビシオン 21 3
2011-12 プリメーラ・ディビシオン 24 5
2012-13 プリメーラ・ディビシオン 28 7
通算 319 91

タイトル

クラブ

アル・ラーヤン

代表

U-19スペイン代表
スペイン代表

脚注

外部リンク




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