スパイロジャイラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/19 17:31 UTC 版)
スパイロジャイラ Spirogyra |
|
---|---|
出身地 | ![]() |
ジャンル | フォーク・ロック カンタベリー・ロック プログレッシブ・ロック |
活動期間 | 1967年 - 1974年 2004年 - 2018年 |
レーベル | B&C、Peg、ポリドール、Repertoire、Turning Round |
旧メンバー | マーティン・コッカーハム マーク・フランシス バーバラ・ガスキン スティーヴ・ボリル ジュリアン・キューザック |
スパイロジャイラ(Spirogyra)は、イギリスのフォーク/プログレッシブ・ロック・バンドで、1971年から1973年の間に3枚のアルバムを録音し、さらに2009年から2011年にかけてオリジナル・アルバムを発表した。
略歴
マーティン・コッカーハム(ボーカル、ギター)とマーク・フランシスは、もともと1967年夏にランカシャー州ボルトンにて、デュオとしてスパイロジャイラを結成した[1]。
1969年12月、コッカーハムがカンタベリーのケント大学に通っているときに、同輩の学生バーバラ・ガスキン(ボーカル)、スティーヴ・ボリル(ベース)、ジュリアン・キューザック(ヴァイオリン)を加入させてバンドを拡大した。彼らはすぐに学生組合のエンターテインメント担当役員であるマックス・ホールによって見出され、マネージメントを申し出た彼によって、B&C Recordsとレコーディング契約を結ぶこととなった。デビュー・アルバム『セント・ラディガンズ』は、彼らの学舎があった通りにちなんで名付けられた。アンダーグラウンドのクラブを演奏して回るうちに、カルトなステージングを確立し、見事に売り上げを増やしていった。続編的な1972年のアルバム『オールド・ブート・ワイン』はPeg Recordsから発表され、アコースティックな作風だったデビュー・アルバムよりも、ハード・エッジなサウンドを披露した。『オールド・ブート・ワイン』のリリース後、バンドはコッカーハムとガスキンによるデュオの2人組となった(今ではロマンスが関わっていたとされる)。
当時の最終アルバム『ベルズ、ブーツ、アンド・シャンブルズ』は、1973年4月にポリドールから発表されたものの、売れ行きは良くなかった。今日では、広くイギリスの「アシッド・フォーク」の古典の1つと見なされており、バンドの元メンバーのゲスト出演、ならびにトランペット奏者のヘンリー・ロウサーの参加を呼び物にしていた。3枚のアルバムすべてのオリジナルLPは、今日ではレアで高価なものになっている。3枚ともドイツのブレイン・レコードからも(イギリスとは異なり)見開きカバーで発表されている。フェアポート・コンヴェンションのデイヴ・マタックスが、ゲストとして3枚のアルバムすべてでドラムを演奏している。
1974年3月、スパイロジャイラは、マーティン・コッカーハム(ボーカル、ギター)、バーバラ・ガスキン(ボーカル、エレクトリック・ピアノ)、リック・ビダルフ(ベース、ギター)、ジョン・ギフォード(木管楽器)というメンバーで最後のツアーに臨んだ。新しくつくられた、かなり実験的な曲の数々は期待感を抱かせる出来だったが、4枚目のスタジオ・アルバムがつくられることはなかった。新曲のタイトルは「The River」「Waves」「Sea Song」だった。
コッカーハムは長年、海外暮らしをしていたが、新世紀の初めにイングランドに戻ってきた。彼は古いスパイロジャイラのマテリアルと、これまでに発表されていない作品をプライヴェートで発表し始めた。彼はオリジナルのスパイロジャイラの名前でマーク・フランシスと再結成を果たし、2004年から2006年に『チルドレンズ・アース』というタイトルの新しいアルバムをレコーディングし、ついに2009年にCDとして発売した。同時に制作された『レインボウ・エンパイア』と呼ばれる別の新しいアルバムは、正式にはマーティン・コッカーハムのソロ作品としてリリースされたものの、同じメンバーでのコラボレーションを特色とし、音楽的にもそれが認められる。その後のリリースと同様、どちらのアルバムも彼の「Rainbow Empire」というウェブサイトを通じて入手可能とされていた。『Record Collector』誌の2009年クリスマス・エディションにおいて好意的にレビューされた。
2010年6月6日、スパイロジャイラは、ロン・ブランドとティファニー・ヴィヴィアン・ブラウンによるロン・ブランド・マネージメントが主催する、ユニオン・チャペル・イズリントンにて開催された「スパイロジャイラとのサイケデリックな夜 (A Psychedelic evening with Spirogyra)」のために再結成した。
コッカーハムとフランシスのデュオは、数名の同僚と共に、2011年に新たなスパイロジャイラのアルバム『5 (雄鶏の鳴く時)』を発表した。このアルバムは、以前に『ベルズ、ブーツ、アンド・シャンブルズ』のアルバムに参加していたコッカーハムと、トランペット奏者のヘンリー・ロウサーとが再会したものである。
マーティン・コッカーハムは、2018年4月5日に亡くなった。
ディスコグラフィ
アルバム
- 『セント・ラディガンズ』 - St. Radigunds (1971年)
- 『オールド・ブート・ワイン』 - Old Boot Wine (1972年)
- 『ベルズ、ブーツ、アンド・シャンブルズ』 - Bells, Boots and Shambles (1973年)
- Burn the Bridges (2000年) ※1970年-1971年のデモ音源
- 『チルドレンズ・アース』 - Children's Earth (2009年)
- 『5 (雄鶏の鳴く時)』 - Spirogyra 5 (2011年)
コンピレーション・アルバム
- Spirogyra Box Set (1994年)
- We Were a Happy Crew (1999年)
- A Canterbury Tale (2005年)
関連アルバム
- マーティン・コッカーハム : 『レインボウ・エンパイア』 - Rainbow Empire (2009年) ※日本盤はスパイロジャイラ名義
脚注
- ^ Brezkinar, Klemen (November 2012). “Spirogyra interview with Martin Cockerham”. It's Psychedelic Baby 2018年10月13日閲覧。.
外部リンク
スパイロ・ジャイラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/15 03:48 UTC 版)
スパイロ・ジャイラ Spyro Gyra |
|
---|---|
スパイロ・ジャイラ(2009年)
|
|
基本情報 | |
出身地 | ![]() ニューヨーク州バッファロー |
ジャンル | ジャズ、フュージョン、スムーズジャズ |
活動期間 | 1977年 - |
レーベル | GRP、ウィンダム・ヒル、ヘッズ・アップ、Crosseyed Bear |
公式サイト | www |
メンバー | ジェイ・ベッケンスタイン トム・シューマン スコット・アンブッシュ フリオ・フェルナンデス ライオネル・コーデュー |
旧メンバー | ジェレミー・ウォール デイヴ・サミュエルズ ジェラルド・ヴェレス ボニー・ボナパルト ジョエル・ローゼンブラット チェット・カタロ デイヴ・ウォフォード イーライ・コニコフ リチャード・カランドラ リッチー・モラレス キム・ストーン トム・ウォルシュ ジム・カーツドーファー テッド・ラインハルト マーク・クインオーンズ |
スパイロ・ジャイラ(Spyro Gyra)は、1977年にアメリカで結成されたフュージョン・グループである。代表曲に「モーニング・ダンス」などがある。
現在までに20枚以上のアルバムを出し、1000万枚以上を売り上げ、フュージョン系バンドとしてはもっとも成功を収めたグループの一つであるといわれる。
来歴
ニューヨーク州最北端の都市バッファローにて、リーダーでサックス奏者のジェイ・ベッケンスタインが、地元仲間であったキーボード奏者のジェレミー・ウォールらとのセッションを経て、1977年にバンドとして旗揚げした。グループ名は、ベッケンスタインが学生時代の生物の授業で覚えた「spirogyra(アオミドロ)」を、あるバーのオーナーが「Spyro Gyra」と綴りを間違えて書いたことに由来する。
1979年、キーボード奏者のトム・シューマン、ヴィブラフォン奏者のデイヴ・サミュエルズ等と共にファースト・アルバム『スパイロ・ジャイラ』をGRPレコードよりリリース。初回プレスはわずか500枚であったが、反響を呼び20万枚を超すヒットとなった。1980年になり、セカンド・アルバム『モーニング・ダンス』を発表した。ビルボードのポップチャートを上昇し、販売枚数70万枚以上を記録した。ゴールド・ディスクも獲得し、バンドの代表作となった。タイトル曲はカリプソ調の曲である。このアルバムにはブレッカー・ブラザーズが参加した曲も収められた。
1990年代に入り、スムーズジャズと呼ばれる動きが盛んであった頃でも、彼らの音楽はR&B、ファンク、ポップスなどからの影響をとどめており、スムーズジャズよりもジャズ的であると言われる。即興性よりも曲調に主眼を置いた作風が多く、彼らの全盛期である1970年代末 - 1980年代に出されたアルバムにラテン調の明るい曲が多かったことも手伝って、「軽い音楽」という評価も見られるが、ライブでの技術も含めたメンバーの音楽性自体は高い。
メンバーの入れ替わりを経て、リーダーのベッケンスタインや、作曲担当以外のメンバーは、結成当初とは大きく異なったが、アルバムを定期的に発表し続けている。
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
- 『スパイロ・ジャイラ』 - Spyro Gyra (1979年、GRP)
- 『モーニング・ダンス』 - Morning Dance (1980年、GRP)
- 『キャッチング・ザ・サン』 - Catching the Sun (1980年、GRP)
- 『カルナヴァル』 - Carnaval (1981年、GRP)
- 『フリータイム』 - Freetime (1982年、GRP)
- 『遙かなるサンファン』 - Incognito (1983年、GRP)
- 『シティ・キッズ』 - City Kids (1984年、GRP)
- 『オルタナティング・カレンツ』 - Alternating Currents (1985年、GRP)
- 『ブレイクアウト』 - Breakout (1986年、GRP)
- 『言葉のない物語』 - Stories Without Words (1987年、GRP)
- 『ライツ・オブ・サマー』 - Rites of Summer (1988年、GRP)
- 『ポイント・オブ・ヴュー』 - Point Of View (1989年、GRP)
- 『ファスト・フォワード』 - Fast Forward (1990年、GRP)
- 『スリー・ウィッシズ』 - Three Wishes (1992年、GRP)
- 『ドリームス・ビヨンド・コントロール』 - Dreams Beyond Control (1993年、GRP)
- 『ラヴ・アンド・アザー・オブセッションズ』 - Love and Other Obsessions (1995年、GRP)
- 『ハート・オブ・ザ・ナイト』 - Heart of the Night (1996年、GRP)
- 『20/20』 - 20/20 (1997年、GRP)
- 『ゴット・ザ・マジック』 - Got the Magic (1999年、Windham Hill)
- 『イン・モダン・タイムズ』 - In Modern Times (2001年、Heads Up)
- 『オリジナル・シネマ』 - Original Cinema (2003年、Heads Up)
- 『ザ・ディープ・エンド』 - The Deep End (2004年、Heads Up)
- 『ラップト・イン・ア・ドリーム』 - Wrapped in a Dream (2006年、Heads Up)
- 『グッド・トゥ・ゴー・ゴー』 - Good to Go-Go (2007年、Heads Up)
- 『ア・ナイト・ビフォア・クリスマス』 - A Night Before Christmas (2008年、Heads Up)
- 『ダウン・ザ・ワイアー』 - Down the Wire (2009年、Heads Up)
- A Foreign Affair (2011年、Crosseyed Bear)
- The Rhinebeck Sessions (2013年、Crosseyed Bear)
- Vinyl Tap (2019年、 Amherst Records)
ライブ・アルバム
- 『ライヴ・イン・フロリダ』 - Access All Areas (1986年、GRP)
- 『ロード・スコラーズ』 - Road Scholars (1998年、GRP)
コンピレーション・アルバム
- 『スパイロ・ジャイラ・コレクション』 - Collection (1991年、GRP)
- 『ベスト・オブ・スパイロ・ジャイラ』 - Collection II - The Best of Spyro Gyra (1998年、GRP)
- 『ヴェリー・ベスト・オブ・スパイロ・ジャイラ』 - The Very Best of Spyro Gyra (2002年、GRP)
関連項目
外部リンク
- スパイロジャイラのページへのリンク