スタジオ・ゼロと『オバQ』
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「藤子不二雄」の記事における「スタジオ・ゼロと『オバQ』」の解説
1963年(昭和38年)、鈴木伸一・石森章太郎・つのだじろうらとアニメーション・スタジオであるスタジオ・ゼロを結成。 1964年に藤子不二雄の2人とスタジオ・ゼロの雑誌部によって描かれた『オバケのQ太郎』が大ヒット(連載は『週刊少年サンデー』1964年6号からで、同号発売が1月22日、誌面にクレジットの発行日は2月2日)。それまではシリアス志向の作品が多かったが、これにより「ギャグ漫画の藤子不二雄」として広く認知されるようになる。この時期には『週刊少年マガジン』にわかとの(こちらも藤子不二雄とスタジオゼロ名義)、『週刊少年キング』にフータくん(安孫子)を連載していて、藤子不二雄として週刊漫画誌3誌同時連載となった。 これに続いて『パーマン』(藤本)・『忍者ハットリくん』(安孫子)・『怪物くん』(安孫子)・『21エモン』(藤本)・『ウメ星デンカ』(藤本)などの現在でもよく知られた漫画が続々と発表され、またアニメ化される。
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