スケート撤退・競輪転向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/31 08:42 UTC 版)
過去に「日本のスピードスケート長距離選手の練習環境の悪さを改善したいです」とコメントしており、指導者となる予定とされていたが、トリノオリンピック閉幕直後の3月15日に競輪の選手を養成する日本競輪学校に特別選抜試験の願書を提出していたことが判明し、3月24日には合格が発表された。 2007年4月に日本競輪学校第92期生として卒業(在校競走成績第5位)。当初は出身地の長野登録であったが、牛山と同じくスピードスケートより競輪に転向した武田豊樹が競輪での師匠として練習の指導等をすることになったため、登録地を茨城に移動してデビューすることになった。 同年7月14日、弥彦競輪場でのFII開催で競輪選手デビュー(1着)。同月27日に行われた松戸競輪場でのレースで同期として一番乗りの優勝を果たした。 同年12月6日に豊橋競輪場で開催されたレインボーカップファイナル準決勝第9レースにおいて勝利。同開催の決勝進出を決め、S級昇進を果たした。同期としては最初のS級昇進者となった。 2013年3月24日、立川競輪場で行われた第66回日本選手権競輪において、初のG1決勝進出(8着)。
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