ジョージ・ストーン (外野手)とは? わかりやすく解説

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ジョージ・ストーン (外野手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/02 22:04 UTC 版)

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ジョージ・ストーン
George Stone
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 アイオワ州ロストネイション
生年月日 1877年9月3日
没年月日 (1945-01-03) 1945年1月3日(67歳没)
身長
体重
5' 9" =約175.3 cm
175 lb =約79.4 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
初出場 1903年4月20日
最終出場 1910年10月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジョージ・ロバート・ストーン(George Robert Stone、 1877年9月3日 - 1945年1月3日)は、アメリカ合衆国アイオワ州ロストネイション出身のプロ野球選手(外野手)。左投げ左打ち。

ニックネームは、"Silent George"(サイレント・ジョージ)。

球歴

ストーンがプロの野球選手になったのは26歳になってからで、それまではネブラスカ州で銀行員をしていた。1903年にボストン・アメリカンズに入団したが、アメリカンズでは代打として2度出場しただけで、その後はマイナーリーグのミルウォーキーに送られていた。この年ストーンはミルウォーキーで打率.405、17打席連続出塁という成績を残して注目されるようになり、1904年オフにジェシー・バーケットとのトレードでセントルイス・ブラウンズ(現オリオールズ)に移籍した。

ブラウンズには1905年から6年間在籍した。バッティングスタイルは独特で、バットを肩に載せ、本塁に覆いかぶさるように立って静止して構えていたそうで、正確なミートから多くのヒットをたたき出した。1905年シーズンは打率は3割に満たなかったが、189安打はリーグ最多となった。翌1906年には打率.358を記録し、ナップ・ラジョイの.355を抑えてアメリカンリーグの首位打者となる。1907年にも191安打(リーグ2位)、打率.320(リーグ3位)の記録を残している。

その後ストーンは1909年のシーズン中に足首を捻挫し、翌1910年は復帰してフルシーズン出場したものの、この年を最後にメジャーから退いた。選手を辞めた後は、1916年にウェスタンリーグのリンカーン・タイガースの所有者となった。1945年にアイオワ州で57歳で死去。

詳細情報

打撃成績

※数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。

試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 得点 打点 盗塁 三振 四球 死球 犠打 打率 出塁率 長打率
849 3274 986 106 68 23 428 268 133 - 282 22 90 .301 .361 .396

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