ジョン・ウェストレーキとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 学者・研究者 > 法学者 > 国際法学者 > ジョン・ウェストレーキの意味・解説 

ジョン・ウェストレーキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 02:00 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

ジョン・ウェストレーク(John Westlake、1828年2月4日 - 1913年4月14日[1]は、イギリス法学者ウェストレーキとも表記される。

経歴

コーンウォール州出身で、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ1850年に卒業し[2]1851年から1860年まで同カレッジのフェローを務めた。1854年にはリンカーン法曹院で弁護士資格を取得、1874年にはその幹部 (bencher) となる。1885年エセックス州ロムフォード選挙区からに庶民院に選出され自由党議員として活動する。1888年から1908年まで、ケンブリッジ大学の国際法の教授を務め、その間、1900年から1906年までは、イギリスを代表してハーグ常設仲裁裁判所の判事となった。

ウェストレーキは、1864年に、女性参政権運動の支援者として知られた芸術家、アリス・ヘア(Alice Hare, 1842-1923) と結婚した。

1894年に、日清戦争豊島沖海戦で、日本の巡洋艦浪速」がイギリス船「高陞号」を撃沈した際には、国際法の専門家として日本海軍の行動に国際法上の正当性を認める見解をタイムズ紙に寄稿した。トーマス・アースキン・ホランドも同様の寄稿をしたが、こうした専門的見解により、イギリスの反日世論は沈静化した。

引退後は、コーンウォールペンザンスに住み、庭園を残した。

主要著書

  • A Treatise on Private International Law (1858; second edition, rewritten, 1880; fifth edition, 1912)
  • Chapters on the Principles of International Law (1894)
  • International Law (two volumes, 1904-07; second edition, 1910-13)

このほか、L. Oppenheimの編集による国際公法についての論文集が1914年に公刊されている。

脚注

参考文献

関連項目

グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
新設選挙区 ラムフォード選挙区英語版選出庶民院議員
1885年英語版1886年英語版
次代:
ジェイムズ・シオボールド




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジョン・ウェストレーキ」の関連用語

ジョン・ウェストレーキのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジョン・ウェストレーキのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジョン・ウェストレーキ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS