ジョルジ・リカルドとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ジョルジ・リカルドの意味・解説 

ジョルジ・リカルド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/19 13:39 UTC 版)

ジョルジ・アントニオ・リカルド
基本情報
国籍 {{{国}}}
出身地 {{{出}}}
生年月日 {{{生}}}
騎手情報
所属厩舎 {{{厩}}}
初免許年 {{{初}}}
免許区分 {{{区}}}
通算勝利 13,284勝(2024年1月17日現在)
テンプレートを表示

ジョルジ・アントニオ・リカルド(Jorge Antonio Ricardo 1961年9月30日-)は、ブラジルリオデジャネイロ出身の騎手

拠点はブラジルアルゼンチンの2カ国で、世界屈指の名騎手でもある。

略歴・人物

父・アントニオ・アルフレッドも騎手という競馬一家に生まれ、1976年、地元のリオデジャネイロガベア競馬場で初騎乗。

1982年、ブラジルジョッキークラブ大賞(日本の菊花賞に相当するGI)を勝ち、GI初制覇。同年から2006年まで25年連続でリオデジャネイロ州の首位騎手に君臨。

1993年サンドピットクルセイ・ド・スル賞(ブラジルダービー)初制覇。1994年にはマッチベターで、サンパウロシダーデジャルディン競馬場で行われるサンパウロ大賞(日本で言う有馬記念に相当するGI)と、ガベア競馬場で行われるブラジル大賞(日本で言う天皇賞に相当するGI)を制覇、さらにアルゼンチンへ渡って、ブエノスアイレス郊外のサンイシドロ競馬場で行われる、カルロスペレグリーニ大賞(欧州で言うキングジョージ凱旋門賞に相当するGI)を制覇。

2004年、ゴリラでカルロスペレグリーニ大賞を制覇。

2007年にはアルゼンチンで年間440勝を挙げてアルゼンチンの国内記録を更新。

2008年1月9日、サンイシドロ競馬場で世界初の通算10000勝を達成。

2010年3月にブラジル・シダーデジャルディン競馬場(サンパウロ州)で行われたGIラテンアメリカンジョッキークラブ&同競馬場協会大賞で落馬負傷し、療養することになる。

2018年2月5日、ガベア競馬場で行われたレースにて、ラッセル・ベイズ(アメリカ)の通算勝利数世界記録に並ぶ12844勝目を挙げた。

2020年9月25日、ガベア競馬場の1R(ダート1100メートル)を逃げ切り、 前人未到の通算1万3000勝を達成した。

主な優勝レース

ブラジル
  • ブラジルジョッキークラブ大賞(1981)
  • クルセイ・ド・スル賞(ブラジルダービー)(1992・2001)
アルゼンチン
  • エストレジャス大賞(米国のブリーダーズカップを倣って行われる、アルゼンチン版ブリーダーズカップ。偶数年は、ブエノスアイレス市街地にあるパレルモ競馬場のダートコース・奇数年は、サンシイドロ競馬場の芝コースで交互に行われる)
    • エストレジャス大賞マイル(2008)
    • エストレジャス大賞スプリント(2006)
    • エストレジャス大賞ジュヴェナイルフィリーズ(2006)
  • カルロスペレグリーニ大賞(1994・2004)

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジョルジ・リカルド」の関連用語

ジョルジ・リカルドのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジョルジ・リカルドのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジョルジ・リカルド (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS