ジョアン・バチスタ・ダ・シウバとは? わかりやすく解説

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ジョアン・バチスタ・ダ・シウバ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/18 05:02 UTC 版)

バチスタ
名前
本名 ジョアン・バチスタ・ダ・シウバ
João Batista da Silva
ラテン文字 Batista
基本情報
国籍 ブラジル
生年月日 (1955-03-08) 1955年3月8日(69歳)
出身地 ポルト・アレグレ
身長 178cm
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1973-1981 インテルナシオナル
1981-1983 グレミオ
1983 パルメイラス
1983-1985 ラツィオ
1985-1986 アヴェッリーノ
1987-1988 ベレネンセス
1988-1990 アヴァイ
代表歴
1978-1983 ブラジル [1] 38 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

バチスタ (Batista) ことジョアン・バチスタ・ダ・シウバ(João Batista da Silva、1955年3月8日 - )は、ブラジル出身の元同国代表サッカー選手。 ハードタックルによるボール奪取とパスセンスに長けた典型的なボランチで、パウロ・ロベルト・ファルカンらと共にSCインテルナシオナルの黄金期を支えた。 ブラジル代表で38試合に出場し、1982 FIFAワールドカップにも出場した。

経歴

SCインテルナシオナルのユース出身。1973シーズンから1部に在籍し、パウロ・ロベルト・ファルカンマウロ・ガウボンらと共にクラブの黄金期を支え、1975年と1976年のセリエA連覇、1979年のセリエA無敗優勝などを達成した。その後グレミオFBPASEパルメイラスを経て、1983年からイタリアのSSラツィオに移籍、ヨーロッパでも一定の評価を得た。その後USアヴェッリーノに1年間在籍したものの、あまり活躍できず、1年間無所属となる。1987年からポルトガルのCFベレネンセスに移籍したが、シーズンを通して戦うだけの体力はなく、わずか8試合の出場にとどまった。1988年に母国復帰し、1990年に引退した。

代表歴

キャリアを通じて38試合に出場した。これはエジムンドの37試合よりも多い数字である。1982 FIFAワールドカップでは黄金のカルテットの影に隠れたが、それでも2試合に出場した。

脚注

  1. ^ Batista”. National Football Teams. 2016年4月6日閲覧。

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