エウゾ・アロイージオ・コエーリョとは? わかりやすく解説

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エウゾ・アロイージオ・コエーリョ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/22 13:39 UTC 版)

エウゾ
名前
本名 エウゾ・アロイージオ・コエーリョElzo Aloísio Coelho
カタカナ エウゾ
ラテン文字 ELZO
基本情報
国籍 ブラジル
生年月日 (1961-01-22) 1961年1月22日(63歳)
出身地 ミナスジェライス州マチャド
セラニアポルトガル語版
身長 177cm
選手情報
在籍チーム 引退
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1978-1981 ジナーシジオ・ピニャレンセ 得点1=
1984-1987 アトレチコ・ミネイロ 114 (6)
1987-1989 ベンフィカ 51 (1)
1989-1991 パルメイラス 44 (2)
1991-1993 カタンドゥベヴェンセ
1993 カタトゥエンセ
1993 カウデンセ
代表歴
1986 ブラジル 11 (0 [1])
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エウゾ・アロイージオ・コエーリョポルトガル語: Elzo Aloísio Coelho1961年1月22日 - )は、ブラジルミナスジェライス州出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはMF

経歴

ワールドカップイヤーである1986年に活躍し、【1986 FIFAワールドカップ】のメンバーにも選ばれた。この年、彼は代表で11試合に出場した。

1986メキシコ・ワールドカップではブラジル代表のボランチの主力レギュラーとして活躍し、全5試合にフル出場、カレッカ、ソクラテス、ジーコ、エジーニョらとプレーした。グループリーグでは対スペイン(1-0○),対アルジェリア(1-0○),対北アイルランド(3-0○)に全勝して勝ち上がり、ベスト16では苦戦したがポーランド代表を4-0○で下した。ベスト4をかけた準々決勝で当時プラティニ、ジレス、ディガナら率いるフランス代表と対戦したが、1-1でPK戦に入り、ベスト8で敗戦した。 このブラジル対フランス戦はワールドカップ史最も美しい試合の一つと国際的に評価されている。

1987-88-89はポルトガルの名門ベンフィカに移籍した。当時ポルトガルのレジェンド黒豹ことエウゼビオ監督がエウゾの守備能力を高く評価して入団した。入団一年目から、ボランチのレギュラーになり、ポルトガルリーグ優勝と欧州チャンピオンズカップ(現欧州チャンピオンズリーグ)ではファイナルまで進出したが、観衆75,000人満員を集めたドイツシュツットガルトでの決勝ではフル出場したが、当時オランダの名匠ヒディング監督、グーリット、キーフト、クーマン、ファネンブルグら率いるPSVアイントホーフェンに0-0のPK戦で敗れて惜しくも準優勝となった。この試合でエウゾはベンフィカの第一PKキッカーとなり、PSVのオランダ代表監督経験者ロナウド・クーマンとPKを蹴り合い、両者とも得点した。 ベンフィカのエウゼビオ監督退任後、エウゾはブラジルリーグに戻りプレーした。

脚注

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