ジョルジ・ピント・メンドンサとは? わかりやすく解説

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ジョルジ・ピント・メンドンサ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 21:26 UTC 版)

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この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はピント、第二姓(父方の姓)はメンドンサです。
ジョルジ・メンドンサ
名前
本名 ジョルジ・ピント・メンドンサ
Jorge Pinto Mendonça
ラテン文字 JORGE MENDONÇA
基本情報
国籍 ブラジル
生年月日 (1954-06-06) 1954年6月6日
出身地 シウヴァ・ジャルジンポルトガル語版
没年月日 (2006-02-17) 2006年2月17日(51歳没)
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1971-1973 バングー 26 (1)
1973-1976 ナウチコ 52 (9)
1976-1980 パルメイラス 22 (2)
1980 ヴァスコ・ダ・ガマ 25 (2)
1980-1982 グアラニ 30 (10)
1983-1985 ポンチ・プレッタ 84 (18)
1986 クルゼイロ 0 (0)
1986 リオ・ブランコ-ES 10 (1)
1987-1989 コロラド-PR 0 (0)
1989 ポンチ・プレッタ
1989-1991 パウリスタ
代表歴
1978-1983 ブラジル [1] 6 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジョルジ・メンドンサ(Jorge Mendonça)ことジョルジ・ピント・メンドンサ(Jorge Pinto Mendonça、1954年6月6日 - 2006年2月17日)は、ブラジルリオデジャネイロ州出身の元同国代表サッカー選手

現役時代はブラジル国内のみでプレーし、デビュー当初はジーコと比較されていたが、代表とは縁がなく、6試合の出場に留まった。

経歴

1973年からバングーACに在籍するが、出番を得られず、ナウチコへ移籍。そこでの活躍が評価され、1976年からはSEパルメイラスへ移籍した。パルメイラスでは、加入1年目でカンピオナート・パウリスタを制覇し、1978 FIFAワールドカップにも出場、1979年にはボーラ・ジ・プラッタも獲得した。

グアラニFCでは、カンピオナート・パウリスタペレの記録に並ぶ38ゴールを挙げ、セリエB制覇とセリエA昇格に貢献した。

代表では、6試合の出場に留まった。1978 FIFAワールドカップでは、不調のロベルト・リベリーノに代わって、レギュラーを務めた。

2006年に、52歳で死去した。

脚注

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