エウセビオ・ペドロサ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/02 13:11 UTC 版)
| 基本情報 | |
|---|---|
| 本名 | エウセビオ・ペドロサ・シルバ | 
| 通称 | El Alacrán | 
| 階級 | フェザー級 | 
| 身長 | 175cm | 
| リーチ | 180cm | 
| 国籍 |  パナマ | 
| 誕生日 | 1956年3月2日 | 
| 出身地 |  パナマ県パナマシティ | 
| 死没日 | 2019年3月1日(62歳没) | 
| 死没地 |  パナマ県パナマシティ | 
| スタイル | オーソドックス | 
| プロボクシング戦績 | |
| 総試合数 | 49 | 
| 勝ち | 41 | 
| KO勝ち | 25 | 
| 敗け | 6 | 
| 引き分け | 1 | 
| 無効試合 | 1 | 
エウセビオ・ペドロサ(Eusebio Pedroza Silva、1956年3月2日 - 2019年3月1日)は、パナマのプロボクサー。パナマシティ出身。元WBA世界フェザー級王者。空手の黒帯を持つ有段者。
元WBA世界ジュニアバンタム級王者ラファエル・ペドロサはいとこ。
来歴
1973年デビュー。1977年、メキシコのKOキングアルフォンソ・サモラの持つWBA世界バンタム級王座に挑戦したが、2回KO負けで敗退する。
1978年4月15日、セシリオ・ラストラ(スペイン)の持つWBA世界フェザー級王座に挑戦。13回TKO勝利で戴冠以来、1985年6月8日、バリー・マクギガン(イギリス)に15回判定で敗れ陥落するまで、7年に渡って同タイトルを19度防衛した。防衛の相手には怪物ルーベン・オリバレスや、後の世界王者ロッキー・ロックリッジも含まれる。これはフェザー級における世界タイトル最多連続防衛記録で、今なお破られていない。
日本でも後楽園ホールで2度試合を行っており、ロイヤル小林(国際)やスパイダー根本(草加有沢)の挑戦を受け、いずれも退けている[1]。
2019年3月1日、膵臓がんのためにパナマシティにて死去[2][3]。62歳没。
通算戦績
- 50戦42勝(25KO)6敗1分1ND(世界戦戦績:22戦19勝(11KO)2敗1分)
脚注
- ^ ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年
- ^ “Panamanian world champion boxer Eusebio Pedroza dead at 62”. The Washington Post. The Washington Post. (2009年3月1日) 2019年3月2日閲覧。
- ^ “Muere Eusebio Pedroza ex Campeón Mundial panameño a los 62 años de edad” (スペイン語). La Verdad Noticias. 2019年3月2日閲覧。
関連項目
外部リンク
| 前王者 セシリオ・ラストラ | WBA世界フェザー級王者 1978年4月15日 - 1985年6月8日 | 次王者 バリー・マクギガン | 
固有名詞の分類
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