ジュール・オッペールとは? わかりやすく解説

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ジュール・オッペール

(ジュール・オペール から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/06 04:49 UTC 版)

ジュール・オッペール
人物情報
生誕 (1825-07-09) 1825年7月9日
自由ハンザ都市ハンブルク
ドイツ連邦
死没 1905年8月21日(1905-08-21)(80歳没)
フランス共和国パリ
出身校 ボン大学ベルリン大学キール大学
学問
研究分野 考古学東洋学言語学
研究機関 東洋現代語学校
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ジュール・オッペール[1]フランス語: Jules Oppert1825年7月9日 - 1905年8月21日)は、ドイツ生まれのフランス考古学者東洋学者楔形文字碑文の解読で特によく知られる。

略歴

オッペールはハンブルクユダヤ人の家庭に生まれた[2]。1844年にハイデルベルク大学に入学して、はじめ法律を専攻したが、東洋学に興味を持ってボン大学ベルリン大学キール大学で学んだ[3]。1847年に論文『古代ペルシア語の音体系』[4]を書いて注目された[3]。キール大学の博士の学位を得た後にフランスへ渡り、ラヴァルランスリセでドイツ語を教えながら東洋学の研究を行った。

1851年から1854年まで、フランス政府によるメソポタミア考古発掘調査に参加し、バビロンの発掘を指揮して、多くの粘土板を得た[5]。オッペールは古代のバビロンの位置を同定した。帰国後にフランスに帰化し[5]、報告書『メソポタミアの科学的探検』(2巻)を編纂した。

1855年には公共教育省によって大英博物館所蔵のアッシリア遺物調査のために派遣された。翌年帰国し、レジオンドヌール勲章を授与された。さらに1885年にはオフィシエを受章した。

1857年から東洋現代語学校[5]比較言語学サンスクリットの教授として働いた。このときにサンスクリットの文法書を出版している。

1869年にコレージュ・ド・フランスアッシリア学の講師をつとめ、1874年にアッシリア文献学・考古学の教授に就任した[6]。1881年に碑文・文芸アカデミーの会員に選ばれ、1890年にその副会長、1891年に会長に就任した。

1905年、パリで没した。

業績

オッペールはヘンリー・ローリンソンエドワード・ヒンクスと並ぶ楔形文字解読の先駆者であった。1857年に楔形文字の解読が正しいことを証明するために、未解読の碑文を4人で別々に翻訳して照らしあわせる有名な実験が行われたとき、オッペールはローリンソン・ヒンクス・タルボットとともにこの実験に参加した[7]

古代ペルシア楔形文字の読み方について、オッペールは1851年の論文でそれまで読めなかった文字が l であることを明らかにした[8]

アッカド語楔形文字について、オッペールは大英博物館の所蔵するニムルドの遺物の中に字音表があることを発見し、同じ楔形文字が複数の異なる語を表すことを明らかにした[9]

オッペールは、ヒンクスやローリンソンと同様に、楔形文字を発明したのはセム語派ではない別の言語を話す民族だと考えた[10]。この仮説はなかなか認められなかったが、1877年にド・サルゼックがラガシュ国のギルス(テルロー)遺跡を発見し、それまで仮説上の存在であったシュメール人の実在が確認された。

オッペールは今でいうエラム語を「メディア語」と呼び、1879年に研究書『メディア人とその言語』を出版した[11]

家族・親族

主要な著書

オッペールは大量の著作を残し、1902年までに書いた論文の数は427にのぼる[12]

脚注

  1. ^ ドイツ語読みに基づくと「ユーリウス・オッペルト」(Julius Oppert)。
  2. ^ 『ブリタニカ百科事典』第11版
  3. ^ a b Gray (1905) p.140
  4. ^ Das Lautsystem des Altpersischen. Berlin: Julius Springer. (1847). http://www.mdz-nbn-resolving.de/urn/resolver.pl?urn=urn:nbn:de:bvb:12-bsb10572493-7 
  5. ^ a b c Gran-Aymerich (2008) p.776
  6. ^ Gray (1905) p.420 による。ブリタニカでは1869年から教授。Gran-Aymerich (2008) p.777 では1877年
  7. ^ 関根(1961) pp.135-136
  8. ^ Schmitt, Rüdiger (1993). “Cuneiform Script”. イラン百科事典. IV/5. pp. 456-462. http://www.iranicaonline.org/articles/cuneiform-script 
  9. ^ 関根(1964) pp.131-132
  10. ^ 関根(1964) pp.138-140
  11. ^ 関根(1964) pp.147-148
  12. ^ Gray (1905) p.421

参考文献




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