ジャーマン・ベリオスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ジャーマン・ベリオスの意味・解説 

ジャーマン・ベリオス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/20 16:28 UTC 版)

ジャーマン・ベリオス
German E. Berrios
生誕 ジャーマン・ベリオス
German E. Berrios
(1940-04-17) 1940年4月17日(83歳)
ペルータクナ
居住 ペルー
イギリス
研究分野 精神医学
神経精神医学
精神分析学
精神病理学
研究機関 国立サンマルコス大学
オックスフォード大学
リーズ大学
ケンブリッジ大学
出身校 国立サンマルコス大学医学部
オックスフォード大学大学院
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

ジャーマン・ベリオス: German E. Berrios1940年 - )は、ペルー出身のイギリス医学者精神科医ケンブリッジ大学精神科教授[1]

ベリオスはペルーのタクナで生まれ、ペルーの首都リマにある国立サンマルコス大学で医学と哲学を学んだ。その後、試験を経て特待生として、オックスフォード大学コーパス・クリスティ・カレッジで心理学と哲学を専攻した。彼は同じ大学でチャールズ・ウェブスター(医史学者)、アリスター・キャメロン・クロンビー(科学史者)、ロム・ハーレ(科学哲学者)のもとで学び、大学院生として歴史と科学哲学の研究を行った。その後オックスフォード総合病院において精神医学と神経学の訓練を受けた。

1973年から1976年にわたってイギリスのリーズ大学で精神医学の講師として働き、そこでマックス・ハミルトン教授から医療統計について学んだ。また、ハリー・ガントリップから教育分析を受けた。

1977年から、ベリオスはイギリスのケンブリッジ大学で精神医学、歴史学、科学哲学の分野で指導をはじめた。そこでは現在精神医学の教授であり、またイギリス・ケンブリッジにあるアデンブルック・ホスピタルの神経精神医学の専門医でもある。彼はロビンソン大学、イギリスロイヤルカレッジ(精神医学分野)、英国心理学学会、英国医科学協会のフェロー(研究者、教員)でもある。1989年にはロイ・ポーターと共に国際誌であるHistory of Psychiatryを発刊し、現在でも編集委員である[2]

ベリオスはドリス・アルバラド・コントレラス(1942年ペルー・ナスカ生まれ)と結婚し、4人の子をもうけた。

ベリオスは14冊の本と、また精神症状、記述精神病理学、神経精神医学領域の臨床的、歴史的、哲学的側面の論文を400篇以上発表した[3][4]。彼はハイデルベルク大学(ドイツ)、国立サンマルコス大学(ペルー)、バルセロナ自治大学(スペイン)、ブエノスアイレス大学(アルゼンチン)、コルドバ国立大学(アルゼンチン)、チリ大学(チリ)から名誉学位を授与されている。2006年には、アンティオキア大学(コロンビア)で、彼の名前を冠した記述精神病理学講座の大学教授の職が設立された。2007年にはペルー政府から国家勲章を授与された。2008年には国際神経精神医学学会からラモン・イ・カハール賞を授与された。そして2010年にはイギリスロイヤルカレッジ(精神医学分野)から名誉フェロー職を与えられた。

脚注

関連人物

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジャーマン・ベリオス」の関連用語

ジャーマン・ベリオスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジャーマン・ベリオスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジャーマン・ベリオス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS