ジャヴァヘティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 01:04 UTC 版)
「サムツヘ=ジャヴァヘティ州」の記事における「ジャヴァヘティ」の解説
紀元前785年、ウラルトゥのアルギシュティ1世の時代、この地域はザバカと記録された。 1世紀、カルトリ王国のパルスマン1世がジャヴァヘティを奪った。 5世紀、イベリア王国のヴァクタン5世が亡くなると、彼の2人目の妻はジャヴァヘティのツンダに住んだ。 11世紀、アハルカラキが上ジャヴァヘティの、ツモグヴィが下ジャヴァヘティの中心になった。 11世紀~13世紀にカルトヴェリ人の王朝であるグルジア王国の下で、橋や教会、僧院、王宮が建設された。 13世紀以降、ジャヴァヘティはトルコのパラカツィオとメシュケティの一部を領有するようになった。 15世紀、サムツヘ・サータバゴがジャヴァヘティを統治した。 16世紀、サファヴィー朝に併合された。後にオスマン帝国やペルシア帝国に併合された。 ジャヴァヘティに居住していたカルトヴェリ人の多くは内陸のイメレティ州やカルトリに移住し、この地に残った人々はムスリムになった。 1828年、ロシア帝国はオスマン帝国から戦争でこの地域を奪い、キリスト教徒のアルメニア人やギリシャ人を入植させた。 20世紀初頭、アルメニア人虐殺が起きた。ロシアのドゥホボール派も大量にこの地域に入植した。
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