ジャン・トリスタン (ヴァロワ伯)とは? わかりやすく解説

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ジャン・トリスタン (ヴァロワ伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/10 09:10 UTC 版)

ジャン・トリスタン
Jean Tristan
ヴァロワ伯
在位 1268年 - 1270年

出生 (1250-04-08) 1250年4月8日
アイユーブ朝エジプト、ダミエッタ
死去 (1270-08-03) 1270年8月3日(20歳没)
ハフス朝チュニス
埋葬 フランス王国サン=ドニ大聖堂
配偶者 ヌヴェール女伯ヨランド2世
家名 カペー家
父親 フランス王ルイ9世
母親 マルグリット・ド・プロヴァンス
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ジャン・トリスタン・ド・フランスフランス語:Jean Tristan de France, 1250年4月8日 - 1270年8月3日)は、カペー朝のフランス王子。結婚によりヌヴェール伯(在位:1265年 - 1270年)、オセール伯およびトネール伯(在位:1268年 - 1270年)。また、1268年にアパナージュとしてヴァロワ伯領およびクレピー伯領を与えられた。

生涯

ジャンはフランス王ルイ9世マルグリット・ド・プロヴァンスの第6子、4男としてエジプトダミエッタで生まれた[1]。また、第7回十字軍中に生まれたルイ9世の3人の子女のうちの最初の子であった。ジャンの生まれたダミエッタは1249年に十字軍に征服された港町であった[2]

年代記作者ジャン・ド・ジョアンヴィルによると、ジャンが生まれるとき老騎士が産婆の役割を果たしたという。ジャンの誕生の2日前、父ルイ9世はマムルークに捕らえられ、これが悲しい(triste)出来事であったため生まれてきた子供にトリスタン(Tristan)と名付けたという。ジャンは教会に改築されたダミエッタの大モスクで洗礼を受けた。1か月後、ダミエッタは放棄された。ジャンは幼年期を聖地ですごし、その地で弟ピエール(1251年)と妹ブランシュ(1253年)が生まれた。

父ルイ9世はジャンがドミニコ会に入会することを希望したが、ジャンはこれを拒否した。1266年、ジャンはヌヴェール女伯ヨランド2世(1247年 - 1280年)と結婚し[3]、ジャンはこれによりヌヴェール伯、オセール伯およびトネール伯となった。1268年、父ルイ9世はジャンをアパナージュとしてヴァロワ伯位およびクレピー伯位を与えた。

2年後、ジャンは父に従い第8回十字軍に参加し[2]サルデーニャカリャリを出発した後、7月にチュニスに到着した。しかしチュニスで兵士たちが赤痢にかかった。ジャンもまた赤痢にかかり死去し[4]、その死から3週間後、父ルイ9世も赤痢にかかり死去した[4]。父子の遺体はフランスに運ばれ、サン=ドニ大聖堂に埋葬された。

ジャンと妃ヨランドとの間に子供は生まれなかった。ヨランドは1272年にフランドル伯ロベール3世と再婚した[3]。ジャンが保持していたヴァロワ伯領は王のもとに戻された。

脚注

  1. ^ Lesourd & Ramiz 1969, p. 195.
  2. ^ a b Runciman 1999, p. 292.
  3. ^ a b Jackson-Laufer 1999, p. 425.
  4. ^ a b Riley-Smith 2014, p. 237.

参考文献

先代
ヨランド2世
ヌヴェール伯
1265年 - 1270年
ヨランド2世と共治)
次代
ヨランド2世
先代
(王領)
ヴァロワ伯
1268年 - 1270年
次代
(王領)



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