ジグムント・ディガットとは? わかりやすく解説

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ジグムント・ディガット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/17 22:34 UTC 版)

ジグムント・ディガット
基本情報
生誕 (1894-10-04) 1894年10月4日
オーストリア=ハンガリー帝国 クラクフ
死没 (1977-10-14) 1977年10月14日(83歳没)
フランス パリ
学歴 クラクフ音楽院
ウィーン音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ

ジグムント・ディガットポーランド語: Zygmunt Dygat, 1894年10月4日 - 1977年10月14日)は、ポーランド出身のピアノ奏者[1][2]

経歴

1894年、クラクフ大公国クラクフで生まれた。幼少時よりクララ・ツォップ=ウムラウフォヴァに師事してピアノを学び、1907年からクラクフ音楽院に入学してピアノを専攻した。また1917年にはヤギェウォ大学哲学歴史学を学んだ。その後、ウィーンに留学し、ウィーン音楽院のイェルジ・ラレヴィッツのクラスでピアノを学ぶ一方で、エミール・フォン・ザウアーの薫陶も受けた。1919年にはウィーン音楽院を首席で卒業。

1920年からパリを中心に演奏活動を行うようになったが、1925年にはワルシャワに行ってワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に出演した。1928年にアメリカに演奏旅行に出かけた際には、イグナツィ・パデレフスキの知己を得、1939年までパデレフスキに教えを乞うた。第二次世界大戦中は、ポーランド音楽活動機構の共同設立者に名を連ねつつ、フランスを本拠に演奏活動を展開した。

戦後は1958年からパリのラフマニノフ音楽院で教鞭をとった。1960年に演奏活動から引退し、1977年にパリに没した。

脚注

  1. ^ Zygmunt Dygat”. 2018年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月17日閲覧。
  2. ^ Zygmunt Dygat”. 2018年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月17日閲覧。



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