シュヴァリエ・ド・ロレーヌとは? わかりやすく解説

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フィリップ・ド・ロレーヌ

(シュヴァリエ・ド・ロレーヌ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/07 16:49 UTC 版)

フィリップ・ド・ロレーヌ
Philippe de Lorraine

出生 1643年1月1日
死去 1702年12月8日
フランス王国パリ
子女 (庶子)アレクサンドル
家名 ギーズ家
父親 アルクール伯アンリ
母親 マルグリット・フィリップ・デュ・カンブ
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フィリップ・ド・ロレーヌ(Philippe de Lorraine, 1643年 1月1日- 1702年12月8日)は、フランスブルボン朝の貴族。上級貴族ギーズ家の一員で、分家のエルブフ公シャルル1世の次男のアルクール伯アンリの次男として生まれた。美男子であったことからフランス王ルイ14世の弟のオルレアン公フィリップ1世男色相手として寵愛された。シュヴァリエ・ド・ロレーヌ(Chevalier de Lorraine)の通称でも知られる。

生涯

ルイは父亡き後の1666年にアルマニャック伯に叙せられ、シュヴァリエはシャルトル教区のサン=ピエール修道院長職を与えられたが、1658年からフィリップ1世の愛人となりパレ・ロワイヤルに住み着くようになった。この頃、清教徒革命で亡命していたフィリップ1世の叔母ヘンリエッタ・マリアと娘で従妹のヘンリエッタ・アン(アンリエット・アンヌ)もパレ・ロワイヤルに住んでいた。

1661年にフィリップ1世とアンリエットは結婚したが、フィリップ1世とシュヴァリエの関係は続きアンリエットは無視されていた。1670年にアンリエットをルイ14世に讒言したためリヨン、次にシャトー・ディフへ、最後にローマへ追放された。同年にアンリエットは急死したが、復讐を企てたシュヴァリエが暗殺したとの噂が流れた。翌1671年、フィリップ1世はルイ14世の勧めでエリザベート・シャルロット(リーゼロッテ)と再婚したが、シュヴァリエをフランスへ呼び戻すことを条件に挙げたため、1672年にフランスへ戻りフィリップ1世との関係を継続していった[1]

フィリップ1世に対する影響の大きさを利用して、フィリップ1世とリーゼロッテの息子フィリップ2世の教育係を選んだり、1692年にはフィリップ2世とルイ14世の庶子フランソワーズ・マリーを結婚させた。リーゼロッテはこの結婚について何も伝えられなかったことと、庶子であり身分違いであることを不満に思い、叔母ゾフィーに宛てた手紙で悲しみを伝えている。その後もフィリップ1世の側近として仕えたが、1701年にフィリップ1世が死去してリーゼロッテと和解、翌1702年に死亡した。晩年は借金で友人に葬式代を持ち寄る程だったといわれる[2]

嫡子はいなかったが、庶子アレクサンドルが確認されている。また、姪マリーはモナコ大公アントワーヌ1世に嫁ぎ、ルイーズ=イポリットを産んでいる。

脚注

  1. ^ 戸張、P171 - P172、宮本、P23 - P25、P28、P33。
  2. ^ 宮本、P187 - P190、P230。

参考文献


シュヴァリエ・ド・ロレーヌ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 14:23 UTC 版)

アンジェリク (小説)」の記事における「シュヴァリエ・ド・ロレーヌ」の解説

王弟殿下お気に入り男色相手王弟殿下そそのかし国王暗殺陰謀片棒担ぎカルメンシータ毒薬師エグジリ(クレマン)を使いジョフレ陥れるネスルの塔襲撃指揮官実在オルレアン公フィリップ愛人シュヴァリエ・ド・ロレーヌがモデル

※この「シュヴァリエ・ド・ロレーヌ」の解説は、「アンジェリク (小説)」の解説の一部です。
「シュヴァリエ・ド・ロレーヌ」を含む「アンジェリク (小説)」の記事については、「アンジェリク (小説)」の概要を参照ください。

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