シュミットミューレンの戦いとは? わかりやすく解説

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シュミットミューレンの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/30 08:20 UTC 版)

シュミットミューレンの戦い
戦争スペイン継承戦争
年月日1703年3月28日
場所バイエルン選帝侯領シュミットミューレン英語版
結果:バイエルン選帝侯領の勝利
交戦勢力
神聖ローマ帝国 バイエルン選帝侯領
指導者・指揮官
ヘルマン・オットー2世・フォン・リンブルク=スティルム英語版 マクシミリアン2世エマヌエル

シュミットミューレンの戦い(シュミットミューレンのたたかい、ドイツ語: Schlacht bei Schmidmühlen)はスペイン継承戦争中の1703年3月28日神聖ローマ帝国軍英語版バイエルン選帝侯領英語版の間で戦われた戦闘。バイエルン軍の勝利に終わった。

背景

バイエルン選帝侯マクシミリアン2世エマヌエルはスペイン継承戦争が勃発した直後、攻勢に出ており、1703年2月にはプファルツ=ノイブルク公領を占領した。オーバープファルツでの領地も合わせて、フランケン・クライス英語版への侵攻の基地を確保した形となった。ヘルマン・オットー2世・フォン・リンブルク=スティルム英語版将軍率いる帝国軍が西からバイエルンに侵攻すると、フランケン軍もそれに合流、1703年3月8日にディートフルト英語版でバイエルン軍の反撃を撃退した。帝国軍はそのまま進軍、17日にノイマルクト英語版要塞を落とした。進軍が再開されると、26日にフェルブルク英語版が落とされた。

経過

スティルムが進軍する最中、マクシミリアン2世エマヌエルはバイエルン本軍を率いて進軍、当時パッサウの南東で行軍していたレオポルト・シュリク・ツー・バッサーノ・ウント・ヴァイスキルヒェンドイツ語版将軍率いる帝国軍を破った後、急速に攻めてきた。そして、バイエルン軍がスティルムの進軍を阻止しようとすると、両軍はシュミットミューレンで会戦した。マクシミリアン2世エマヌエルはこの会戦では勝利したが、バイエルン南部への侵攻に対応しなければならなかったため、勝利を拡大することができず、オーバープファルツ地域が帝国軍に占領されたままとなり、フランケン・クライスへの脅威は去った。

参考文献

  • M. Spindler, A. Kraus: Geschichte Frankens bis zum Ausgang des 18. Jahrhunderts. München 1997, ISBN 3-406-39451-5.(ドイツ語)
  • M. Spindler, G. Diepolder: Bayerischer Geschichtsatlas. München 1969.(ドイツ語)



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