ザ・バロンとは? わかりやすく解説

ザバロン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/18 15:20 UTC 版)

ザバロン
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1842年
死没 不明
バードキャッチャー
イキドナ
生国 アイルランド
生産者 ジョージ・ワットン
馬主 ジョージ・ワットン
→ジョン・スコット
調教師 ジョージ・ワットン(アイルランド)
→ジョン・スコット(イギリス
競走成績
生涯成績 9戦5勝
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ザバロンThe Baron1842年 - ?)は、1840年代に活躍したアイルランドイギリス競走馬種牡馬である。父、祖父と同じくアイルランドの出身で、イギリスに渡りセントレジャーステークスを制すことでアイルランド競馬のレベルを知らしめた。種牡馬としてもストックウェルの父として知られる。

経歴

1842年ダブリン獣医ジョージ・ワットンによって生産され、当初アイルランドで走っていた。1845年に名調教師として知られていたジョン・スコットに、「太ってはいるが調教を積めば活躍できるだろう」と見出されイギリスに渡った。ザバロンはその期待に応え、シザレウィッチステークス、セントレジャーステークスを制覇。ただ、厳しい調教のせいか痩せて非常の気性の荒い馬になったという。

引退後はテオバルドに販売され、1849年から短い期間ストックウェル牧場で供用され、当時まだ無名だったポカホンタスとの交配に恵まれたことでストックウェル、ラタプランの2頭の名馬を生み出した。1850年にテオバルドが死亡すると、まだストックウェルらがデビュー前だったこともあり安値でフランスに輸出されたが、フランスでもオークス(ディアヌ賞)馬を3頭、バーデン大賞馬2頭を送り出すなど成功を収めた。

おもな勝ち鞍

  • セントレジャーステークス
  • シザレウィッチステークス
  • マドリードステークス
  • カーワンステークス
  • ウォーターフォードステークス
  • 2着 - クレーブンステークス

おもな産駒

血統表

ザバロン血統エクリプス系 / Whalebone (Whisker) 3× (3) = 25.00% (血統表の出典)

Birdcatcher
1833年 栗毛
父の父
Sir Hercules
1826年 青毛
Whalebone Waxy
Penelope
Peri Wanderer
Thalestris
父の母
Guiccioli
1823年 栗毛
Bob Booty Chanticleer
Ierne
Flight Escape
Y.Heroine

Echidna
1838年
Economist
1825年
Whisker Waxy
Penelope
Floranthe Octavian
Caprice
母の母
Miss Pratt
1825年
Blacklock Whitelock
Coriander Mare
Gadabout Orville
Minstrel F-No.24


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