コロンビア・キンディオ地震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/10 17:35 UTC 版)
コロンビア・キンディオ地震 | |
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地震の震央の位置を示した地図
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本震 | |
発生日 | 1999年1月25日 |
発生時刻 | 13時19分18秒(COT) |
震央 | 北緯4度28分 西経75度43分 / 北緯4.46度 西経75.72度 |
震源の深さ | 17 km |
規模 | Mw:6.2 |
地震の種類 | 直下型地震 左横ずれ断層型 |
被害 | |
死傷者数 | 死者1900人 |
被害地域 | コロンビア |
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プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
コロンビア・キンディオ地震(コロンビア・キンディオじしん)は、1999年1月25日にコロンビアで発生した地震である[1][2]。震央から17km北に位置するキンディオ県アルメニアや、周囲のコーヒー・トライアングルに位置する自治体に大きな被害を与えた[1][2]。
被害
この地震は、コロンビアのコーヒー生産地帯を襲った[1][2]。アルメニアでは古い建築物や弱い地盤に建てられたことに加えて異常気象による大雨によって地盤が緩み、建築物が倒壊するなどの被害が拡大した[1][3]。また、約20万人が地震で住居を失うなど被災者のほとんどがテント生活を余儀なくされた[4]。さらに水道と電気がストップしたことで衛生状態が悪化し、伝染病の発生も懸念された[4]。
本震だけでも1,000人ほどの死者が出たほか、倒壊しかけた建築物から物品を回収しようとして余震の犠牲になった者も多い[2]。行方不明者は3,900人ほどと推定されているが、確かなところは分からないままである[4]。
被災地では、人員やトラックの不足により援助物資が行き渡らず、スーパーマーケットで商品を略奪する行為が相次ぐなど治安が悪化した[5][4][6]。また、銀行や宝石店、薬局、被災した民家に強盗団や泥棒が押し入る事件が多発した[7]。
各国・機関の対応
- コロンビア: アンドレス・パストラーナ・アランゴ大統領は夜間外出禁止令と経済非常事態宣言を発令し、大統領権限で酒の販売を一時的に禁止するなどの措置をとった[5]。
脚注
- ^ a b c d 「コロンビア:マグニチュード6の強い地震 250人死亡」『毎日新聞』毎日新聞社、1999年1月26日。オリジナルの1999年11月3日時点におけるアーカイブ。2025年5月11日閲覧。
- ^ a b c d 「コロンビア:地震被害さらに拡大 死者2千人超の可能性も」『毎日新聞』毎日新聞社、1999年1月27日。オリジナルの2001年4月18日時点におけるアーカイブ。2025年5月11日閲覧。
- ^ 「コロンビア地震:アルメニア 湿地帯に大雨で被害拡大か」『毎日新聞』毎日新聞社、1999年2月1日。オリジナルの2000年10月11日時点におけるアーカイブ。2025年5月11日閲覧。
- ^ a b c d 「コロンビア地震:略奪行為による治安悪化 伝染病の発生も懸念」『毎日新聞』毎日新聞社、1999年1月30日。オリジナルの2000年10月11日時点におけるアーカイブ。2025年5月11日閲覧。
- ^ a b 「コロンビア:パストラナ大統領 経済非常事態を宣言へ」『毎日新聞』毎日新聞社、1999年1月29日。オリジナルの2001年4月18日時点におけるアーカイブ。2025年5月11日閲覧。
- ^ 「コロンビア:大震災の影響で、アルメニア市周辺の治安が悪化」『毎日新聞』毎日新聞社、1999年2月1日。オリジナルの1999年11月4日時点におけるアーカイブ。2025年5月11日閲覧。
- ^ 「コロンビア地震:仮設住宅が何より必要 国際社会の支援訴える」『毎日新聞』毎日新聞社、1999年2月3日。オリジナルの2001年4月18日時点におけるアーカイブ。2025年5月11日閲覧。
- ^ 平成11年1月26日コロンビア地震
- ^ 「コロンビア地震:日本からの国際救急救助隊が活動開始」『毎日新聞』毎日新聞社、1999年1月28日。オリジナルの1999年11月8日時点におけるアーカイブ。2025年5月11日閲覧。
参考文献
- 橋本隆雄、宮島昌克「1999年コロンビア・キンディオ地震被害調査報告」『土木学会論文集』第640号、2000年、215-224頁、doi:10.2208/jscej.2000.640_215。
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