コレーズとは? わかりやすく解説

コレーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/27 00:19 UTC 版)

Corrèze

行政
フランス
地域圏 (Région) リムーザン地域圏
(département) コレーズ県
(arrondissement) チュール郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 19062
郵便番号 19800
市長任期 ジャン=フランソワ・ラバ
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes Tulle et Cœur de Corrèze
人口動態
人口 1154人
2011年
人口密度 34人/km2
住民の呼称 Corrèzois
地理
座標 北緯45度22分24秒 東経1度52分33秒 / 北緯45.3733333333度 東経1.87583333333度 / 45.3733333333; 1.87583333333座標: 北緯45度22分24秒 東経1度52分33秒 / 北緯45.3733333333度 東経1.87583333333度 / 45.3733333333; 1.87583333333
標高 平均:m
最低:295m
最高:644m
面積 34.16km2 (3 416ha)
Corrèze
公式サイト http://www.mairie-correze.fr/index.aspx
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コレーズCorrèzeオック語:Corresa)は、フランスリムーザン地域圏コレーズ県コミューン

地理

中央高地の中、ミルヴァシュ高原の南にある。ミルヴァシュ地域圏自然公園と境界を接している。チュールから北東20kmの距離である。町は標高約470mのところ、コレーズ川谷の右側斜面にある。コレーズ川の他にメノード川が流れている。

由来

コミューンを流れるコレーズ川に由来する。川を渡ることは、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を行く巡礼者の重要な道標であった。

歴史

町並み

最初にコレーズの記述があったのは9世紀、それはまだ川を見下ろす教会が建てられる前である。しかし町の起源は古いと思われる。町では古代ローマ街道の交差路や、ガロ=ローマ時代の遺構すら見つかっている。

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の宿場になると、教会の周りに町がつくられていった。1293年、ヴァンタドゥール子爵エブル7世はブサックとコレーズに城主支配権区(châtellenie)をつくった。百年戦争中の1350年、町はイングランド軍に包囲され焼かれた。15世紀にさらに防衛の強固な町に再建された。その後、町はユグノー戦争から逃れることができず、1595年、カトリック派が大砲をつくるために教会の鐘を徴収している。自由都市の地位を得てから、16世紀から17世紀にかけて町は繁栄の時代を迎えた。特権を持っていること、コンシュル(領事)の権利、友愛会、織工のギルドのあるコレーズは、低リムーザンの最大の町の1つであり、多くの旅人をひきつけた。17世紀終わりには約200世帯、約1400人がコレーズにいた。40世帯は城壁の中で暮らす有力者とその従者たち、40世帯は城外で大半が職人、そして周辺の農村地帯には労働者と日雇いが120世帯暮らしていた[1]

19世紀終わりまで、町は成長し続けた。教会は火薬工場に変えられ、ペニタン・ブラン礼拝堂は会議場にされたが、フランス革命はコレーズに激変をもたらさなかった。しかし、第一次世界大戦は町に非常に厳しい試練を課した。103人の戦死者の名が記念碑に刻まれている。以後、コレーズは農村部の人口流出に直面し、かつての人口を取り戻せなかった。

経済

経済の中心は農業、農耕か家畜の飼育である。並行して製造業、それも木材加工業のいくつかの大きな企業がある。

人口統計

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2011年
1602 1576 1528 1340 1145 1152 1175 1154

参照元:1999年までEHESS[2]、2004年以降INSEE[3][4]

史跡

  • マルゴ門 - マルゴとは王妃マルグリット・ド・ヴァロワを指す。かつて町を取り巻いていた城壁の一部で、1927年より歴史記念物[5]
  • サン・マルシアル教会 - 起源はカロリング朝時代。以後再建と拡張が繰り返された。1972年に歴史記念物登録[6]
  • ペニタン・ブラン礼拝堂 - 1988年に歴史記念物登録[7]

ゆかりの人物

  • バティスト・トラモン(fr) - 軍人
  • ベルナデット・シラク(fr) - 政治家。1979年よりコレーズ小郡議長。ジャック・シラク元大統領の夫人。

脚注


コレーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 08:08 UTC 版)

フランスの著名な庭園の一覧」の記事における「コレーズ」の解説

ヴテザックの Châteaudu Saillant 植物園・デュ・シャトー・ド・ヌヴィックドールユセルでヌヴィック 1815周りジャンイアサントD'ユセルによって作成され歴史的な庭。この場所はまた、アルブレス「アルブレremarquables de France」とも呼ばれてます。フランス最大セコイア、ティリア・コルダータなど。

※この「コレーズ」の解説は、「フランスの著名な庭園の一覧」の解説の一部です。
「コレーズ」を含む「フランスの著名な庭園の一覧」の記事については、「フランスの著名な庭園の一覧」の概要を参照ください。

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