ゲルゴウィア包囲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/13 22:38 UTC 版)
「ゲルゴウィアの戦い」の記事における「ゲルゴウィア包囲」の解説
エラウェル渡河地点から5日間ほど行軍してゲルゴウィアに到着したカエサルは、ゲルゴウィアが山頂に位置しているために正面からの攻撃が困難と判断して、ローマ軍が得意とする攻囲戦術を採ることとした。ローマ軍はゲルゴウィアから程近い小高い丘をガリア軍との攻防の末に奪取して、この丘とカエサルのいる本陣の間をガリア軍の攻撃から防御するために、幅12フィートに及ぶ2重の濠を掘った。 この包囲線を以てガリア軍の兵站を封じて、ウェルキンゲトリクスを兵糧攻めにする予定であったが、ウェルキンゲトリクスの内応策によってハエドゥイ族のコンウィクトリタウィスはガリア連合軍へ加担する意向を固めつつあり、またゲルゴウィアへ向かう予定のハエドゥイ族の軍兵10,000を率いるリタウィックス(Litavicus)はウェルキンゲトリクスへと合流する目論見であった。これを察知したカエサルは軍を率いてリタウィックスを捕らえようとしたが、リタウィックスはゲルゴウィアへと逃れた。ハエドゥイ族はコンウィクトリタウィスらの親ガリア派とウィリドマルス(Viridomarus)らの親ローマ派へ分かれた。
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