グローナ城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 16:07 UTC 版)
中世初期のグーティンギ村の運命に関しては考古学的出土品から推測するだけでよく分かっていないが、村の2km北西に造られたグローナ城(現代ドイツ語ではグローネ)とともに歴史の表舞台にはっきりと現れてきた。915年に新しく建設された城砦(Burg)として記録されたこの城は後に王の居城(Pfalz)に拡大された。ライネ川の対岸越しのハーゲンベルクの南の張り出し部に位置する城館には、941年から1025年の間にリウドルフィング家の中レベルの居館として、証明されているものだけで合計18回、王や皇帝が滞在した。特にハインリヒ2世とその妻のクニグンデにとってグローネはお気に入りの居館であった。1024年の夏に重い病のためにこの館に入ったハインリヒ2世は、同年7月13日にここで亡くなった。 その後、この城は王の居館としての機能を喪失し、13世紀にグローネ家の城砦に改築された。1323年から1329年の間にこの城はゲッティンゲンの市民によって破壊された。その城趾は、オットー3世公とゲッティンゲン市とのフェーデのために、1387年にオットーによって完全に平地にならされた。
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