グラントリー・ゴールディングとは? わかりやすく解説

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グラントリー・ゴールディング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 20:00 UTC 版)

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グラントリー・ゴールディング
グラントリー・ゴールディング(撮影時期不明)
選手情報
フルネーム グラントリー・トーマス・スマート・ゴールディング
国籍 イギリス
種目 110mハードル
所属 Gloucester Athletic Club
生年月日 (1874-03-23) 1874年3月23日
生誕地 イギリスグロスタシャーHartpury
没年月日 (1944-07-29) 1944年7月29日(70歳没)
死没地 南アフリカ共和国クワズール・ナタール州Umkomaas
自己ベスト 120ヤード[1] ハードル:16秒8(1895年)
獲得メダル
イギリス
陸上競技
オリンピック
1896 アテネ 110m障害
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グラントリー・ゴールディングGrantley Thomas Smart Goulding1874年3月23日 - 1944年7月29日)は、イギリス陸上競技選手である。1896年に開催されたアテネオリンピックに出場して、110メートルハードル走で2位となった[2]

経歴

グラントリー・ゴールディングは、グロスタシャーの小村Hartpuryで裕福な農家の息子として生まれた。彼の名はグロスターシャー地域で1895年に開催された競技会の数々で勝利を収めたことで、よく知られるようになっていた。

ゴールディングは、アテネオリンピックで110メートルハードル走に出場した。予選で彼は18秒4を記録して1位となり、決勝に進んだ。決勝では他の2選手が棄権したため、彼はアメリカ代表のトーマス・カーティスと1対1で走ることになった[3]

アテネでの練習中にゴールディングは転倒して膝を負傷し、数日間トレーニングができなかったという。決勝レースのスタートでゴールディングは躓いてしまい、その差を埋めることができないかと思われたが、ゴールディングは最初のハードルでカーティスに並び、巧みなハードリングで最後のハードルを越えるときにはリードを奪った。しかし最後の直線でのスピードに優ったカーティスが、わずか5センチの差で勝利した。両選手とも、記録は17秒6であった。

ゴールディングは後に南アフリカに移住して、1944年クワズール・ナタール州の海岸沿いにある町Umkomaas(en:Umkomaas, KwaZulu-Natal)で死去した。

脚注

  1. ^ 109.72800m。
  2. ^ 第1回アテネオリンピックでは第2位の選手には銅メダルが贈られていたが、獲得メダルの表示は便宜上第2回オリンピック以降と同様の表示を用いている。
  3. ^ フランス代表のフランツ・リフェル(en:Frantz Reichel)はマラソンに出場する同僚アルバン・レムゾーのサポートを務めるために棄権し、アメリカ代表のウェルス・ホイト棒高跳に出場するために棄権した。

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