グィーディダファエンツァの聖母とは? わかりやすく解説

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グィーディ・ダ・ファエンツァの聖母

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/22 23:17 UTC 版)

『グィーディ・ダ・ファエンツァの聖母』
フランス語: Madone des Guidi de Faenza
英語: Madonna of the Guidi da Faenza
作者サンドロ・ボッティチェッリ
製作年1465年ごろ
種類キャンバス上にテンペラ
寸法73 cm × 49 cm (29 in × 19 in)
所蔵ルーヴル美術館パリ
フィリッポ・リッピ聖母子 (リッピ)イタリア語版』(1465年ごろ)、アルテ・ピナコテークミュンヘン

グィーディ・ダ・ファエンツァの聖母』(グィーディ・ダ・ファエンツァのせいぼ、: Madone des Guidi de Faenza : Madonna of the Guidi da Faenza)は、イタリア・初期ルネサンス絵画の巨匠サンドロ・ボッティチェッリがごく若かった (21-22歳) 1465年ごろ、ポプラ板上にテンペラで描いた作品である[1][2]。ただし、ボッティチェッリ周辺の画家の作品とする意見もある[1]。かつて、ファエンツァのグィーディ家の所蔵品であったため、この名で呼ばれる[1]。作品は、1914年にバジール・ド・シュリシュタン (Basile de Schlichting) 男爵によりパリルーヴル美術館に遺贈された[3]

作品

この作品は、ボッティチェッリの師であったフィリッポ・リッピの『聖母子 (リッピ)イタリア語版』 (アルテ・ピナコテークミュンヘン) を踏襲している[1][2]。両作とも、はるか彼方に消えていく風景を背景にしている[2]が、本作ではリッピの作品には描かれていない窓枠がある。なお、外に広がっている岩山と霊廟のある風景 (後世の補筆がかなり入っている[1]) は実在しないものである[2]

額が広く透明なヴェールを被った、優美で少女らしい聖母マリアもリッピの影響を受けている[2]が、アンドレア・デル・ヴェロッキオの影響も見られる[1]。また、リッピが描いた非常に赤ん坊らしいイエス・キリストとは違い、この作品のイエスは頬が赤く、しっかりとした鼻があり、たくましく生き生きとしている[2]。マリアはX型の玉座に穏やかに座っているが、イエスは母の膝をよじ登り、抱いてもらおうとしているようである[2]。母子は互いに一心に見つめあっており、鑑賞者は母子の団欒に引き込まれてしまう。

脚注

  1. ^ a b c d e f NHKルーブル美術館IV ルネサンスの波動 1985年、126頁。
  2. ^ a b c d e f g ルーヴル美術館 収蔵絵画のすべて 2011年、55頁。
  3. ^ La Vierge et l'Enfant, dite Madone des Guidi de Faenza”. ルーヴル美術館公式サイト (フランス語). 2023年10月8日閲覧。

参考文献

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