クロード=ガスパール・バシェ・ド・メジリアクとは? わかりやすく解説

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クロード=ガスパール・バシェ・ド・メジリアク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/09 10:09 UTC 版)

クロード=ガスパール・バシェ・ド・メジリアク
Claude-Gaspard Bachet de Méziriac
生誕 (1581-10-09) 1581年10月9日
サヴォイア公国ブール=カン=ブレス[1]
死没 (1638-02-26) 1638年2月26日(56歳没)
サヴォイア公国、ブール=カン=ブレス
墓地 ブール=カン=ブレス大聖堂英語版フランス語版
著名な実績 バシェ方程式ドイツ語版
代表作
  • Problèmes plaisans et délectables qui se font par les nombres
  • Les éléments arithmétiques
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クロード=ガスパール・バシェ・ド・メジリアク[注釈 1]: Claude-Gaspard Bachet de Méziriac (1581-10-09) 1581年10月9日 - 1638年2月26日(1638-02-26) )は、フランス数学者詩人。バシェによるディオファントスの『算術』のラテン語訳書は、後にピエール・ド・フェルマーフェルマーの最終定理について注釈を残した書籍である。

魔方陣の構成法やベズーの等式の一証明を発見した。

経歴

ディオファントスの『算術』(Arithmetica)のバシェによるラテン語訳の1621年版の表紙。

1581年、ブール=カン=ブレスに生まれた。6歳になるまでに、父ジャン・バシェ(Jean Bachet)と母マリ・ド・シャヴァンヌ(Marie de Chavanes)の両方を失い、イエズス会に引き取られた。1601年の間イエズス会に所属していたが、病気により退会した[1]

ブール=カン=ブレスで自適な生活を送った。1620年にフィリベルト・ド・シャブー(Philiberte de Chabeu)と結婚し7人の子を儲けた[1]

バシェはランスのイエズス会学校で、数学者ジャック・ド・ビリフランス語版英語版に師事した。バシェとビリは深い友情で結ばれていた[2]

バシェの著作 Problèmes plaisans et délectables qui se font par les nombres は、1612年に初版、1624年に第二版(増補版)が出版された。 この作品には算術に関する技法や問題についての記述が含まれ、ウォルター・ウィリアム・ラウス・ボール英語版Mathematical Recreations and Essays に何度も引用されている[1][3]

他に著名な作品として挙げられる Les éléments arithmétiques写本として現存している。

1621年、ギリシア語で書かれたディオファントスの『算術』のラテン語訳を発表した。フェルマーはこの書籍の写本の余白に、自身がフェルマーの最終定理の証明を知っていることを書き記した。παρισὀτης の訳語 adaequalitat は、フェルマーによって開発された Adequality英語版 の語源となった[4]

数論におけるバシェの功績に、魔方陣の構成法の発見がある[3]Problèmes plaisants(1624)の命題XVIIIでは、ベズーの142年前に、ベズーの等式を証明している[5][6]

1635年、アカデミー・フランセーズ会員に選出された(座席番号13)[1]

バシェはフランス語、ラテン語、ギリシア語の他、イタリア語スペイン語の教養を持っていた。イタリア滞在中にはクロード・ファヴル・ド・ヴォージュラ英語版フランス語版とともにイタリア語で詩を楽しむこともあった[7]

脚注

注釈

  1. ^ クロードとガスパールは繋がずに書くこともある。バシェはバシェー、メジリアクはメジリアックメズィリアクとも書かれる。

出典

  1. ^ a b c d e O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F., “Claude Gaspar Bachet de Méziriac”, MacTutor History of Mathematics archive, University of St Andrews, https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Bachet/ .
    Claude Gaspar Bachet (1581–1638) – Biography – MacTutor History of Mathematics”. 2020年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月25日閲覧。)
  2. ^ Richard A. Mollin (2008). undamental Number Theory with Applications. CRC Press. p. 279. ISBN 9781420066616 
  3. ^ a b W. W. Rouse Ball (1908). A Short Account of the History of Mathematics. http://www.maths.tcd.ie/pub/HistMath/People/17thCentury/RouseBall/RB_Math17C.html#Bachet 
  4. ^ Simon Singh (1997). Fermat's Enigma: The Epic Quest to Solve the World's Greatest Mathematical Problem. New York: Walker. pp. 56–57, 61–63. ISBN 0-8027-1331-9 
  5. ^ Claude Gaspard Bachet, sieur de Méziriac (1624). Problèmes plaisants et délectables…. Lyons, France: Pierre Rigaud & Associate. pp. 18–33 .
    18–33頁においてバシェは等式を使用せずにベズーの補題を証明した。互いに素な2つの整数について、一方の倍数がもう一方の倍数より1だけ大きくなるように、2数のそれぞれの倍数をとることができる(等式を用いて記述するならば、gcd(a, b) = 1となる整数a, bについて、axby = 1となるような整数x, yを求める)。これはベズーの等式の基本的な場合であり、バシェによって同書籍の199頁以降の問題の解法に使用された。
  6. ^ Wolfgang K. Seiler. “Zahlentheorie” (ドイツ語). Universität Mannheim. 2021年1月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月9日閲覧。
  7. ^ Collet & Itrad 1947.

参考文献

外部リンク




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