ギルザイ部族連合とは? わかりやすく解説

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ギルザイ部族連合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/02 23:11 UTC 版)

ギルザイ部族
غلجي

アフガニスタンのギルザイ女性
民族 パシュトゥーン人
居住地 アフガニスタン
パキスタン
言語 パシュトー語
宗教 イスラム教

ギルザイ部族連合(ギルザイぶぞくれんごう、パシュトー語: غلجي英語: Ghilji、ギルザイは「山の民」の意[1])は、パシュトゥーン人の中で最も大きな部族連合の1つ。現代の遊牧民であるクチ族英語版の大多数はギルザイ族に属しており[1]、アフガニスタンの人口の約20 - 25%を占めているとされる[2]ガルジー部族連合ギルザイ族と表記する場合もある。

概要

ギルザイ部族連合はパシュトゥーン人の二大部族連合の1つである。アフガニスタンガズニー州を中心とする東アフガニスタンの部族で構成されている。ギルザイ部族連合は18世紀にホータキー朝を興した。もう1つの部族連合であるドゥッラーニー部族連合と比べて、部族数は2倍だと言う[3]

歴史

ホータキー朝

ギルザイ族は7世紀から10世紀ごろガズニーに居たトルコ系のハラジュ族と関係があり、パシュトゥーン人の源流とする説がある[4]。16世紀にパシュトゥーン人はスレイマン山脈からヘラートやカンダハール、カブールなどを通る幹線沿いに進出した。17世紀、ギルザイ族(部族連合)はカンダハールに居り、サファヴィー朝に従っていたが、シーア派への改宗を迫られた為に反旗を翻した。中心となったのはホータキー族のミール・ワイスで、1709年にホータキー朝を興した。1721年、ホータキー朝はサファヴィー朝の都エスファハーンを陥落させたが、ナーディル・シャーの反撃により1729年に倒された。1738年、カンダハールが陥落し、ギルザイ族は街を追われた[5]

部族

ブーラーン族

主にガズニーの北に住んでいる。

アフマドザイ氏族などが属する。アフマドザイ氏族はパクティヤー州ガルデーズやナンガルハール州ジャラーラーバードなどに在住し、インド貿易で財をなした富裕な一族である[3]アフガニスタン民主共和国最後の最高指導者のムハンマド・ナジーブッラームジャーヒディーンアフマド・シャー・アフマドザイアブドル・ハク、元アフガニスタン・イスラム共和国の大統領のアシュラフ・ガニーなど。
モコル(ムクル)に在住[3]
モコル(ムクル)在住[3]。アフガニスタン民主共和国の初代最高指導者のヌール・ムハンマド・タラキーなど。

トゥーラーン族

主にガズニーの南に住んでいる。

遊牧民(クーチー)であり、かつては国境を越えてインダス川まで遊牧していた[3]
  • ハローティー族(ハローティー・ガルジー族[3]
グマル川上流に在住[3]。アフガニスタン民主共和国の第2代最高指導者のハフィーズッラー・アミーンクンドゥーズ州を開拓したシール・ハーン・ナセルムジャーヒディーングルブッディーン・ヘクマティヤールなど。
18世紀にホータキー朝を作った一族[3]ターリバーンの最高指導者のムハンマド・オマルなど。モコル(ムクル)の南方[3]ザーブル州カラートの東に在住。
モコル(ムクル)の南方[3]のザーブル州カラートに住んでいる。カラーティー・ギルザイ砦(英語: Qalat I Ghilzai、別名カラーティー・トーヒー)が有名で[3]、16世紀にムガル帝国カラーティー・ギルザイ砦の戦いがあったと言う。

こちらも関連

脚注

  1. ^ a b Abdul Hai Habibi. “Khaljies are Afghan”. alamahabibi.com.. 2025年5月3日閲覧。
  2. ^ Ghilzai Tribe”. www.afghan-bios.info. 2025年5月3日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q ヴィレム・フォーヘルサング『アフガニスタンの歴史と文化』明石書店、2005年、51-54頁。ISBN 978-4750320700 
  4. ^ 「アフガニスタンの歴史と文化」P286-287
  5. ^ 「アフガニスタンの歴史と文化」P339-350

関連項目


ギルザイ部族連合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 17:08 UTC 版)

パシュトゥーン人」の記事における「ギルザイ部族連合」の解説

スライマーン・ヘール族、アリー・ヘール族、タラキー族、ナースィル族、ハローティー族、ホターキー族、トーヒー族など。

※この「ギルザイ部族連合」の解説は、「パシュトゥーン人」の解説の一部です。
「ギルザイ部族連合」を含む「パシュトゥーン人」の記事については、「パシュトゥーン人」の概要を参照ください。

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