ガズナ朝・ゴール朝の侵入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:55 UTC 版)
「インドの歴史」の記事における「ガズナ朝・ゴール朝の侵入」の解説
詳細は「ガズナ朝」および「ゴール朝」を参照 10世紀後半、中央アジアにあったイラン系王朝サーマーン朝のテュルク系マムルークであったアルプテギーンがアフガニスタンで自立してガズナ朝を建て、しばしば北インドへ侵入してパンジャーブを領有した。 ガズナ朝にかわり台頭したイラン系のゴール朝も北インドに進出し、この地の統治を図って北インドのラージプート諸王国の連合軍と対峙した。連合軍は、内部の結束が整わず、大敗した。
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