カロリング家への継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/28 14:13 UTC 版)
ピピン2世が714年に死去すると、正室のプレクトルードは側室アルバイダが生んだ庶子カール・マルテルを幽閉した。しかしカール・マルテルは2年後に脱出してプレクトルードの子グリモアルド2世を破り、アウストラシア宮宰となった。この時点でピピン朝は断絶したと考えられ、代わってカール・マルテルがカロリング家を創始した。その息子ピピン3世は、メロヴィング朝からフランク王位を奪いカロリング朝を創始した。
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