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カブルー

(カブルー山 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/20 05:05 UTC 版)

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カブルー
Kabru
南側のシッキム州ゾングリ峠から見たカブルー南峰
最高地点
標高 7,412 m (24,318 ft) 
世界65位
プロミネンス 780 m (2,560 ft)
座標 北緯27度38分06秒 東経88度07分06秒 / 北緯27.63500度 東経88.11833度 / 27.63500; 88.11833座標: 北緯27度38分06秒 東経88度07分06秒 / 北緯27.63500度 東経88.11833度 / 27.63500; 88.11833
地形
カブルー
ネパールにおける位置
所在地 インドネパール国境
所属山脈 ヒマラヤ山脈
プロジェクト 山

カブルー(Kabru)は、ネパールインドの国境にあるヒマラヤ山脈である。カンチェンジュンガから南に伸びる尾根上にあり、世界最南端の7,000メートル峰である。

カブルーが属する尾根は、以下の部分から構成される(北から南に)。

カブルー南峰の南西には、6400 mの鞍部を介してラトン(Rathong)と呼ばれる6682 mの頂がある。その南東には、6600 mのカブルードーム(Kabru Dome)がある。

登頂歴

シッキムから見た朝のカブルー(2013年)

カブルー北峰は、1883年もしくは1907年に人類の最高到達高度が記録された場所である。イギリスの法廷弁護士のウィリアム・ウッドマン・グラハム英語版、スイスのホテル経営者のエイミル・ボススウェーデン語版、スイスの山岳ガイドのウルリッヒ・カウフマンは、1883年10月8日午後2時に、グラハムが「氷の柱にすぎない」と表現した山頂の下30〜40フィート(約10メートル)の地点に達したと報告した。この登頂の報告に対し、アルパインクラブのメンバーとインド測量局は疑いを持ったが、ヒマラヤの登山仲間は疑問視しておらず、グラハムらの主張がすぐに却下されることはなかった。最近の分析によると、グラハムらの主張は正しかったようである[1]。グラハムらがカブルーの7325 mの地点まで登ったとすると、これは当時の最高到達高度記録を少なくとも360 m更新するものであり、1909年にアブルッツィ公チョゴリザの標高7500 m地点に到達するまでの26年間、その記録を保持していたことになる。

グラハムらの主張が却下されたとしても、1907年10月20日に、ノルウェーのカール・ルーベンソン英語版とモンラード・アースが山頂から50 m以内に到達し、同じ頂が疑いの余地のない最高到達高度の場所になった。ルーベンソンらは、グラハムらが24年前に到達したのと同じ地点に到達したと信じていた[1]

カブルー北峰の山頂には、1935年11月18日にC・R・クック英語版が初登頂した。これは無酸素による単独登頂であり、1953年まで、単独登頂による最高到達地点となった[2]

タルン(7349 m)の初登頂は、1964年5月18日に、フランツ・リンドナーらドイツ隊によってなされた。ドイツ隊は西側斜面と南の鞍部を経由した。当初の計画は、6983メートルの鞍部を経由して7412メートル峰に登頂するというものだったが、これは断念された[3]

1994年5月10日、A・アビー少佐が率いるインド陸軍遠征隊の12人の隊員がカブルー北峰(7338 m)の頂上に到着した。5月13日には、さらに5人の登山者がこの頂上に到達した。その間の鞍部から、5月12日と13日に合計27人の兵士がカブルー南峰(7318 m)への初登頂を行った。この遠征ではさらにカブルーの最高峰(7412 m)にも初登頂された。彼らはこの頂をカブルーIII峰と呼び、当時は標高7395メートルと推定されていた。Naib Subedar Dan Singh率いる3人のグループが5月12日に、Naib Subedar Devi Singh率いる4人のグループが5月13日に登頂し、3つの頂すべての登頂を完了した[4]

2004年、セルビアの登山者のグループが、カブルー南峰の西面を登ろうとしたが失敗した。一連の雪崩により、グループは登頂を断念した[5]

タルンの北北西ピラーは、2015年に2人のウクライナ人登山家、Mikhail FominとNikita Balabanovが初登頂し、これによりこの年のピオレドール賞を獲得した。これはタルンの5回目の登頂だった[6][7]

脚注

  1. ^ a b Willy Blaser and Glyn Hughes, Kabru 1883, a reassessment, The Alpine Journal 2009, p. 209
  2. ^ John Hunt (1998) Lt. Col. Conrad Reginald Cooke, OBE (1901-1996), The Himalayan Journal, Volume 54.
  3. ^ Richard Hechtel, Talung Peak, American Alpine Journal, 1965
  4. ^ Major A. Abbey (1996) Kabru - Mountain of the Gods, The Himalayan Journal, Volume 52, pp. 29–36.
  5. ^ Elizabeth Hawle, Kangchenjunga Himal South, Kabru IV (7,318m), West Face Attempt, American Alpine Journal, 2015
  6. ^ Burns, Cameron M. (December 7, 2015), “Ukrainian Climbers Score Major Route on Mt. Talung”, Alpinist, http://www.alpinist.com/doc/web15y/newswire-ukrainian-climbers-score-major-route-mt-talung 2016年4月28日閲覧。 .
  7. ^ “Piolets d'Or 2016: four ascents honoured”, Planet Mountain, (April 7, 2016), http://www.planetmountain.com/en/news/alpinism/piolets-dor-2016-four-honoured-ascents.html 2016年4月28日閲覧。 .



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