カバリエリエース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/11 05:07 UTC 版)
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| カバリエリエース | |
|---|---|
| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牝 |
| 毛色 | 鹿毛 |
| 生誕 | 1978年5月11日 |
| 死没 | 1981年11月29日 |
| 父 | ハーディカヌート |
| 母 | カバリダナー |
| 母の父 | パーシア |
| 生国 | |
| 生産者 | 賀張仲川牧場 |
| 馬主 | (有)賀張仲川牧場 |
| 調教師 | 佐藤勝美(美浦北) |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 10戦3勝 |
| 獲得賞金 | 6345万1400円 |
カバリエリエースは、日本の競走馬。おもな勝ち鞍は、クイーンカップと4歳牝馬特別(オークストライアル)。
なお、当項目では馬齢を当時の表記方法(数え年)で記述する。
経歴
母・カバリダナーと同じく4歳シーズン開幕早々の1981年1月24日にデビュー。結果は、3番人気であったが鮮やかに差し切り勝ち。母と同じく、デビュー戦を飾った。この勝利の勢いに乗ってか、果敢にも2戦目に重賞・クイーンカップに挑戦となった。同レースには、前年の3歳牝馬チャンピオン・テンモンが大本命として参戦した結果、僅か6頭と言う寂しいメンバー構成となった。このレースで、カバリエリエースは最低人気を跳ね返し優勝。良馬場でテンモンを破った初の馬となった。
その後、次走を重馬場に足を掬われたか1番人気を裏切る3着敗退に終わったものの、母が2着惜敗に終わった4歳牝馬特別を1番人気で快勝。『打倒テンモンの本命』として、オークスには母と同じ2番人気で挑戦となった。
だが、カバリエリエースのオークス(24頭)は、スタート直後の信じられないヨレが致命傷となり、後ろには21番人気のカイエンオーカンだけと言う惨敗を喫してしまう。
このレース惨敗以降、ツキを無くしたカバリエリエースは良い所なく負け続け、同年11月29日のダービー卿チャレンジトロフィーではとうとうレース中に故障を発症し予後不良となった。
なお、1歳下に弟・タカラテンリュウ(毎日王冠、東京新聞杯、ダイヤモンドステークス)がいるが、当馬も1番人気に支持された1983年の秋の天皇賞惨敗以降不振に陥り、1986年2月16日の目黒記念でレース中に故障を発症し予後不良と言う、カバリエリエースと同様の運命を辿っている。
血統表
| カバリエリエースの血統(ファリス系 / Blandford 4x5=9.38%) | (血統表の出典) | |||
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父
*ハーディカヌート Hardicanute 1962 黒鹿毛 イギリス |
父の父
*ハードリドンHard Ridden 1955 鹿毛 イギリス |
Hard Sauce | Ardan | |
| Saucy Bella | ||||
| Toute Belle | Admiral Drake | |||
| Chatelaine | ||||
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父の母
Harvest Maid1949 鹿毛 イギリス |
Umidwar | Blandford | ||
| Uganda | ||||
| Hay Fell | Felstead | |||
| Hay Fever | ||||
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母
カバリダナー 1972 栗毛 日本 |
*パーシア Parthia 1956 鹿毛 イギリス |
Persian Gulf | Bahram | |
| Double Life | ||||
| Lightning | Hyperion | |||
| Chenille | ||||
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母の母
*トライスティングロードTrysting Road 1963 栗毛 アメリカ |
Hasty Road | Roman | ||
| Traffic Court | ||||
| Countess Rullah | Count Fleet | |||
| Nasrulline F-No.4-k | ||||
※母・カバリダナーは京都牝馬特別優勝馬。
外部リンク
固有名詞の分類
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