エーレクトリュオーンの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 16:32 UTC 版)
「アムピトリュオーン」の記事における「エーレクトリュオーンの死」の解説
エーレクトリュオーンがミュケーナイの王だったとき、同じくペルセウスの子孫であるタポス島の王プテレラーオスの息子たちがやって来て、祖のメーストールの土地を与えるよう求めた。エーレクトリュオーンが拒否すると、怒った彼らはエーレクトリュオーンの牛を奪おうとしてエーレクトリュオーンの息子たちと殺し合いになり、エーレクトリュオーンの息子たちはリキュムニオスのみが生き残った。プテレラーオスの息子たちとともにミュケーナイにやって来ていたタポス人(テーレボエース人)たちはエーレクトリュオーンの牛を連れ去り、エーリスの王ポリュクセノスの牛を預けてタポスに帰った。そこでアムピトリュオーンはエーリスに行き、ポリュクセノスから牛を買い戻してミュケーナイに戻った。 一方、エーレクトリュオーンは殺された息子たちの復讐のためにタポスを攻撃しようとし、その間ミュケーナイとアルクメーネーをアムピトリュオーンに預け、アルクメーネーの処女を守ることを約束させた。ところがアムピトリュオーンが牛をエーレクトリュオーンに引き渡したとき、1頭の牛が飛び出し、アムピトリュオーンが止めようとして棍棒を投げた。すると棍棒は牛の角に跳ね返ってエーレクトリュオーンに当たり、殺してしまった。この不幸な出来事によってアムピトリュオーンはステネロスに追放され、アルクメーネー、リキュムニオスとともにテーバイに亡命した。ヒュギーヌスもアムピトリュオーンがエーレクトリュオーンを殺してしまったと述べている。
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