エヴロンとは? わかりやすく解説

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エヴロン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/03 07:03 UTC 版)

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Évron

行政
フランス
地域圏 (Région) ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏
(département) マイエンヌ県
(arrondissement) ラヴァル郡
小郡 (canton) エヴロン小郡
INSEEコード 53097
郵便番号 53600
市長任期 ジョエル・バランドロー
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes des Coëvrons
人口動態
人口 7121人
2012年
人口密度 200人/km2
住民の呼称 Évronnais
地理
座標 北緯48度09分20秒 西経0度24分09秒 / 北緯48.155556度 西経0.402500度 / 48.155556; -0.402500座標: 北緯48度09分20秒 西経0度24分09秒 / 北緯48.155556度 西経0.402500度 / 48.155556; -0.402500
標高 平均:m
最低:82 m
最高:200m
面積 35.52km2
Évron
公式サイト www.evron.fr
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エヴロンÉvron)は、フランスペイ・ド・ラ・ロワール地域圏マイエンヌ県コミューン

地理

マイエンヌ県4番目の人口を持つエヴロンは、ラヴァルの東33km、ル・マンの西54kmのところにある。

由来

ケルト(ガリア)の言葉eburo(ifまたはイノシシ)が要素となって構成される。接尾辞の-oまたは位置を表す-dunoが付けば『要塞化した村』(village fortifié)、-magosが付け足されたとみなせば『平らな土地、市場』となる[1]

歴史

17世紀に描かれたノートルダム修道院とエヴロンの町

最初のノートルダム修道院は7世紀に建てられ、ノルマン人によって破壊された。修道院は981年に一流の技術を持つ人々によって再建された。そしてその壮大さから多くの巡礼者たちが集まるようになった。

1418年にはイングランド軍が町に侵攻し、ユグノー戦争中の1577年にはユグノーによる略奪にあっている。町を防衛する設備は18世紀の建設である。マイエンヌにおけるシュアンの首領、ロシャンボーことギヨーム・ル・メテイエは、エヴロン地区の理事会に司祭追放の法令に抗議するため請願を行った5、6人のうちの1人であった。

人口統計

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2007年 2012年
3874 4537 5407 6398 6904 7283 7152 7121

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[2]、2004年以降INSEE[3][4]

史跡

本堂

姉妹都市

脚注

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