エスタディオ・オリンピコ・パスカル・ゲレーロとは? わかりやすく解説

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エスタディオ・オリンピコ・パスカル・ゲレーロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/13 07:34 UTC 版)

エスタディオ・オリンピコ・パスカル・ゲレーロ
Estadio Olímpico Pascual Guerrero


2023年のスタジアム

施設情報
所在地  コロンビア サンティアゴ・デ・カリ
位置 北緯3度25分47.6秒 西経76度32分27.9秒 / 北緯3.429889度 西経76.541083度 / 3.429889; -76.541083座標: 北緯3度25分47.6秒 西経76度32分27.9秒 / 北緯3.429889度 西経76.541083度 / 3.429889; -76.541083
起工 1934年7月28日
開場 1937年7月20日
修繕 2010年-2011年
所有者 バジェ大学
運用者 サンティアゴ・デ・カリ
グラウンド 天然芝
ピッチサイズ 110m x 68m
設計者 ホルヘ・ガイタン・コルテス
使用チーム、大会
アメリカ・デ・カリ
コパ・アメリカ2001
2011 FIFA U-20ワールドカップ
2024 FIFA U-20女子ワールドカップ
収容人員
38,000人

エスタディオ・オリンピコ・パスカル・ゲレーロ(Estadio Olímpico Pascual Guerrero)はコロンビアの都市サンティアゴ・デ・カリにあるスタジアムフットボル・プロフェシオナル・コロンビアーノに所属するアメリカ・デ・カリの本拠地。

概要

スタジアムの周囲に総合スポーツセンターを備えており、1971年に行われたパンアメリカン競技大会のメインスタジアムになる等1950年代から1970年代にかけてラテンアメリカを代表するスタジアムとなり、サンティアゴ・デ・カリは「スポーツ・キャピタル・オブ・アメリカ」と呼ばれた。現在でもスタジアムは国内外のスポーツイベントにおいて大きな重要性を持っている。

またスポーツ以外の目的にも使用される事もあり、サルサロックマリアッチ等のコンサート宗教的な会合までも行われた。

アメリカ・デ・カリデポルティーボ・カリの2チームがこのスタジアムを本拠地としていたが、2007年にデポルティーボ・カリがコロンビア初のクラブ専用スタジアムであるエスタディオ・デポルティーボ・カリ建設の為に移転した。

2008年11月19日には大規模なミュージックフェスティバルが開催され、シャキーラ等のアーティストが出演した。

2011年7月から8月にかけては2011 FIFA U-20ワールドカップの会場にも選ばれ、主にグループBの試合とベスト16、ベスト8の試合がそれぞれ1試合行われた[1]

ギャラリー

2013年に撮影されたパノラマ

脚注

外部リンク




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