エジプト第12王朝とは? わかりやすく解説

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エジプト第12王朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 03:59 UTC 版)

エジプト第12王朝(エジプトだい12おうちょう、紀元前1991年頃 - 紀元前1782年頃)は、エジプト中王国時代の古代エジプト王朝。第1中間期を終わらせた第11王朝に継続する政権であった。その終了を以てエジプト第2中間期の始まりとする見解がある[1][2][3][注釈 1]


注釈

  1. ^ 中王国時代の終了を第13王朝終了時とする見解も多く、学者により分類は一定しない。第13王朝までを中王国と分類する例としてスペンサー[4]
  2. ^ ただし、第11王朝の宰相アメンエムハトと、第12王朝の初代アメンエムハト1世を同一人物とする確証はなく、慎重な立場を取る学者もいる[8]
  3. ^ 『ネフェルティの予言』のうちほぼ完全な写本として現存するのは第18王朝トトメス3世時代のものと見られる写本であるが、成立年代はアメンエムハト1世の即位直後であるとされている[11][9]。全文の日本語訳が『筑摩世界文学大系1 古代オリエント集』に収録されている。
  4. ^ 紀元前3世紀のエジプトの歴史家マネトの記録ではディオスポリスマグナと呼ばれている。これはゼウスの大都市の意であり、この都市がネウト・アメンアメンの都市)と呼ばれたことに対応したものである。この都市は古くはヌエと呼ばれ、旧約聖書ではと呼ばれている。ヌエとは大都市の意である。新王国時代にはワス、ワセト、ウェセ(権杖)とも呼ばれた。
  5. ^ より正確には、アメンエムハト・イチ・タウィ(アメンエムハトは二つの国土を掴む、の意)ウィルキンソン 2015, p.127
  6. ^ 全文の和訳が参考文献『筑摩世界文学大系1 古代オリエント集』に収録されている他、http://www.geocities.jp/kmt_yoko/index.htmlで、西村洋子による全訳と解説が掲載されている。
  7. ^ ヘロドトスは、スキタイトラキアを征服したファラオセソストリスを伝えている[21]が、ディオドロスは、同じ物語を伝える際、王の名前をセソオシスとしている。この名前はセンウセルトの変形と見られるが、何世であるのかは決定し難い[22]。或いはこの名前をラムセス2世の短縮形セセスに由来するものとし、ラムセス2世に比定する説がある[22]プリニウスもまた、ラムセス2世をセソティスと呼んでいる事がこの説を補強する[22]
  8. ^ 州侯の弱体化と、その建造物の縮小化は長くセンウセルト3世が彼等の権力を粉砕した結果であると信じられてきたが、近年では中央の宮廷の活動が活発になった結果、地方の宮廷の存在が色褪せた事による間接的な結果に過ぎないとする見解も出てきている[26]
  9. ^ この他、ナイル川と紅海を結ぶ運河も開発されたかもしれない。アリストテレスストラボン、プリニウスらは、ナイル川と紅海を結ぶ運河の建設者をセソストリスとしている。正確にどの王を指すものかわからないが、このような航路が中王国時代に存在していたことを示していると考えられる。ただし、ヘロドトスとディオドロスはこのルートの運河をネコ2世が着工し、アケメネス朝ダレイオス1世が完成したものであると述べている[29][30]

出典

  1. ^ a b フィネガン 1983, p.287
  2. ^ a b 屋形ら 1998, p.442
  3. ^ a b クレイトン 1999, p.88
  4. ^ スペンサー 2009, p.44
  5. ^ フィネガン 1983, p.270
  6. ^ クレイトン 1998, p.98
  7. ^ a b ドドソン, ヒルトン 2012, p.92
  8. ^ スペンサー 2009, p.45
  9. ^ a b フィネガン 1983, p.271
  10. ^ a b c 屋形ら 1998, pp.433-434
  11. ^ a b 屋形訳 1978, p.463
  12. ^ クレイトン 1999, p.102
  13. ^ フィネガン 1983, p.272
  14. ^ a b c 屋形ら 1998, p.434
  15. ^ a b c d 屋形ら 1998, p.435
  16. ^ a b 屋形ら 1998, p.436
  17. ^ クレイトン 1999, pp.102-104
  18. ^ a b クレイトン 1999, p.103
  19. ^ a b 屋形ら 1998, p.438
  20. ^ フィネガン 1983, pp.282-283
  21. ^ ヘロドトス 『歴史』巻2 §110(松平訳 1971), p.226
  22. ^ a b c フィネガン 1983, p.278
  23. ^ 屋形ら 1998, p.439
  24. ^ クレイトン 1999, p.108
  25. ^ a b 屋形ら 1998, p.440
  26. ^ ドドソン, ヒルトン 2012, p.91
  27. ^ クレイトン 1999, pp.109-110
  28. ^ クレイトン 1999, p.110
  29. ^ ヘロドトス 『歴史』巻2 §158(松平訳 1971), p.264
  30. ^ フィネガン 1983, p.281
  31. ^ クレイトン 1999, p.112
  32. ^ 屋形ら 1998, pp.441-442
  33. ^ クレイトン 1999, p.113
  34. ^ クレイトン 1999, p.114
  35. ^ 屋形ら 1998, p.442
  36. ^ スペンサー 2009, p.46
  37. ^ ドドソン, ヒルトン 2012, p.100
  38. ^ クレイトン 1999, p.113
  39. ^ クレイトン 1999, p.111
  40. ^ 原則として参考文献『ファラオ歴代誌』の記載に依った。クレイトン 1999


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