ウラリスクとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > ウラリスクの意味・解説 

ウラリスク【Ural'sk/Уральск】

読み方:うらりすく

カザフスタン都市オラル旧称


オラル

(ウラリスク から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/07 14:38 UTC 版)

オラル

Орал
Уральск
オラル
北緯51度14分 東経51度22分 / 北緯51.233度 東経51.367度 / 51.233; 51.367
カザフスタン
西カザフスタン州
設立 1613年
人口
 • 合計 210,600人
等時帯 UTC+5
ウェブサイト http://www.western.kz/

オラルカザフ語: Орал: Oral)は、カザフスタン共和国都市西カザフスタン州の州都で、人口はおよそ20万人。ロシア語ではウラリスクУральск)と呼ばれる。ラテン文字表記はOral、またはロシア語に倣ってUralsk、Ural'sk。

ウラル川チャガン川ロシア語版英語版(Chagan)の合流点に位置する。ウラル川の西側にあるため地理的にはヨーロッパに区分される。

歴史

1613年コサックによって建設されヤイツク(Yaitsk)と呼ばれた。ウラル川は当時、ヤイク川(Yaik)という名前で、それに因んだ。ヤイツクのコサックが、ステンカ・ラージンエメリヤン・プガチョフの反乱に加担したため、1775年エカチェリーナ2世は川の名を「ウラル川」と変え、町の名も「ウラリスク」に変えた。プガチョフの乱では半年にわたって包囲され、エカチェリーナ2世の軍はオレンブルクを奪還した後に、ウラリスクをやっと奪回した。ウラル山脈カスピ海の間を、ウラル川のはしけを使った交易の中心地となる。アレクサンドル・プーシキンは「大尉の娘」の執筆調査で1833年にこの町を訪れた。ロシア革命時にはコサックに包囲されミハイル・フルンゼの防衛軍が死守した。1991年、カザフスタンが独立すると、オラルの名前となった。現在は住民の69%がカザフ人、25%がロシア人である。

著名出身者

関連項目

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウラリスク」の関連用語

ウラリスクのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウラリスクのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのオラル (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS