ウフナーギーン・フレルスフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/21 16:27 UTC 版)
|   | 
       この記事は英語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2018年10月)
        
         翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
         
 | 
| オフナー・フレルスフ Ухнаагийн Хүрэлсүх | |
|  
       公式写真(2020年6月)
       | |
|  | |
| 任期 | 2021年6月25日 – | 
|---|---|
| 首相 | ロブサンナムスライ・オユーンエルデネ ゴンボジャブ・ザンダンシャタル | 
|  | |
| 任期 | 2017年10月4日 – 2021年1月27日 | 
| 大統領 | ハルトマーギーン・バトトルガ | 
|  | |
| 出生 | 1968年6月14日(57歳)  モンゴル人民共和国 ウランバートル | 
| 出身校 | モンゴル国防大学校 モンゴル国立大学 | 
| 配偶者 | ボラーツェツェグ・フレルスフ | 
| 子女 | 2人 | 
オフナー・フレルスフ(モンゴル語: Ухнаагийн Хүрэлсүх, ᠤᠬᠤᠨᠠᠭᠠ ᠶᠢᠨ 
ᠬᠦᠷᠦᠯᠰᠦ᠋ᠬᠡ,ウフナーギーン・フレルスフ、1968年6月14日 - )は、モンゴル国の政治家。現在、同国大統領。ハルトマーギーン・バトトルガ政権にて第30代モンゴル国首相を務めた。元人民党党首。 
経歴
- 1968年6月14日 モンゴル人民共和国のウランバートルに誕生する。
- 1989年 国防大学校卒業[2]
- 1989年~90年 国軍第152部隊(スフバートル県)政治指導員[2]
- 1991年~94年 人民革命党(当時)中央委員会職員[2]
- 1994年 国家行政管理アカデミー修了[2]
- 1994年~96年 国家大会議人民革命党(当時)会派顧問[2]
- 1996年~97年 人民革命党(当時)付属青年開発センター総裁[2]
- 1997年~99年 民主社会主義青年同盟総裁[2]
- 1999年~00年 国家大会議人民革命党(当時)会派社会政策担当顧問[2]
- 2000年 モンゴル国立大学修了 政治学修士[2]
- 2000年~04年 第三期国家大会議議員[2]
- 2004年~08年 第四期国家大会議議員[2]
- 2004年~06年 非常事態担当大臣(第二次エルベグドルジ内閣)[2]
- 2006年~07年 行政監察担当大臣(エンフボルド内閣)[2]
- 2008年~12年 人民党(任命当時人民革命党)幹事長[2]
- 2012年7月~12月 第6期国家大会議員[2]
- 2014年~15年 副首相(サイハンビレグ内閣)[2]
- 2016年~17年10月 副首相(エルデネバト内閣)[2]
- 2017年10月 ハルトマーギーン・バトトルガ政権にて第30代モンゴル国首相に就任[2]
- 2017年11月~2021年6月 人民党党首[2]
- 2020年6月~ 第8期国家大会議議員[2]
- 2021年1月 首相を辞職
- 2021年6月 9日執行の大統領選挙にて当選し、25日に第6代モンゴル国大統領就任[3]
大統領として
2022年9月、フレルスフは上海協力機構首脳に出席するため、ウズベキスタンのサマルカンドを訪問。同地でロシアのウラジーミル・プーチン大統領と中国の習近平国家主席との三者会談を行った[4]。
2025年10月17日に議会にてゴンボジャブ・ザンダンシャタル首相に対する不信任決議案が可決された[5]際には、同月10月20日に議会での投票は違憲だったとして拒否権を行使した[6]。
日本との関わり
1994年8月から9月にかけて、当時26歳だったフレルスフは国際協力機構(JICA)の青年交流事業「21世紀のための友情計画」の一員で来日し、青森県三戸郡の旧倉石村(現五戸町)[7]の会社員宅へのホームステイを一週間行った。交流中は家族のように打ち解け合い、自身の娘と同世代の女の子は特にかわいがっており「いつかあなたをモンゴルに招待します。」と約束していた。その後、連絡先が分からなくなり、来日の度に一家の連絡先を調べていたが、2018年12月に当時首相として来日した際に交流事業の話になり、外務省などを通して一家の連絡先を知る。2020年、手紙を送り、2022年7月、一家をモンゴルに招くことができ、28年ぶりに再会した。モンゴルを代表する祭典「ナーダム」には国賓級の待遇で迎え入れた[8][9][10][11]。
新型コロナウイルスでの対応
2021年1月19日に新型コロナウイルス感染症のPCR検査を受けて陽性となった母が救急車で隔離施設に移動する際、出生直後と思われる子供を連れ、零下20度を下回る中を寝間着とスリッパ姿で移動させられている動画が拡散され、非人道的な対応であるとして1月20日に当局に対する抗議活動が勃発。同日中に副首相と厚生大臣が辞任に追い込まれ、翌21日にはフレルスフも引責辞任を表明し、同日中に議会が内閣総辞職を承認した[12]。後任には政権下で官房長官を務めたロブサンナムスライ・オユーンエルデネが就任した[13]。
ただしフレルスフ自身の人気は高く、同年6月9日の大統領選挙では現職のバトトルガの有力な対抗馬と目されていた[14]。選挙では1回目の投票で7割前後の票を積み上げ勝利宣言した[15]。
出典
- ^ “モンゴル基礎データ”. 外務省. 2023年6月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t オフナー・フレルスフ首相略歴|外務省
- ^ “President Ukhnaagiin Khurelsukh sworn in”. Montsame. (2021年6月25日) 2021年6月30日閲覧。
- ^ “President of Mongolia Ukhnaagiin Khurelsukh arrives in Samarkand”. UzDaily. (2022年9月14日) 2025年10月21日閲覧。
- ^ “蒙古国总理赞丹沙塔尔被解职”. 中国中央電視台. (2025年10月17日) 2025年10月21日閲覧。
- ^ “フレルスフ大統領、首相解任決議に拒否権を発動”. Montsame. (2025年10月20日) 2025年10月21日閲覧。
- ^ モンゴル首相、26年前滞在先の一家探し出し手紙 「おもてなし」に感謝 | 毎日新聞
- ^ 「約束は守られた 28年の歳月を超えたモンゴル大統領と青森の家族の絆」『青森テレビ』2022年11月28日。オリジナルの2022年12月4日時点におけるアーカイブ。
- ^ 高村さん(五戸)一家に招聘状 モンゴル大統領
- ^ モンゴル首相、26年前滞在先の一家探し出し手紙 「おもてなし」に感謝
- ^ “「大統領になっているとは…」ホームステイで迎え入れた青年がモンゴルの大統領に!28年前の“ある約束”を果たすため…家族をモンゴルに”. youtube. 2025年1月19日閲覧。
- ^ “フレルスフ内閣、総辞職”. モンゴル通信社. (2021年1月21日) 2021年1月22日閲覧。
- ^ “モンゴル、オユーンエルデネ氏が新首相に就任”. 日本経済新聞 (2021年1月27日). 2021年1月27日閲覧。
- ^ “モンゴル首相が辞意 PCR陽性の母と新生児隔離に批判”. 朝日新聞. (2021年1月21日) 2021年1月22日閲覧。 {{cite news}}:|work=、|newspaper=引数が重複しています。 (説明)⚠
- ^ “モンゴル大統領選 与党・人民党フレルスフ氏 事実上の勝利宣言”. NHK NEWSWEB. NHK. (2021年6月10日) 2021年6月10日閲覧。
 
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 ハルトマーギーン・バトトルガ |  モンゴル国大統領 第6代:2021年6月25日 - | 次代 (現職) | 
外部リンク
- ウフナーギーン・フレルスフのページへのリンク

 
                             
                    








