ウォルスキとアエクイとの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 23:21 UTC 版)
「ルキウス・ウァレリウス・ポティトゥス (紀元前449年の執政官)」の記事における「ウォルスキとアエクイとの戦い」の解説
他方、この混乱を見てアエクイ、ウォルスキ、サビニがローマに対して兵を上げた。マルクス・ホラティウスはサビニに対し、ルキウス・ウァレリウスはウォルスキとアエクイに対処することとなった。十人委員会の間に兵の士気が落ちていたにも関わらず、ルキウス・ウァレリウスは勝利した。マルクス・ホラティウスは当初苦戦したものの、最終的にはサビニに勝利した。 ローマはこの勝利を喜んだが、元老院は凱旋式を認めなかった。しかし、トリブス民会は元老院の意思を無視し、両執政官の凱旋式を認めた。これはローマ史上最初の決定であった。 十人委員会解散後地位を回復した護民官10人は全員の再選と、更にこのプレブスに協力的な執政官2人の再選を狙っていたが、ルキウス・ウァレリウスらにその意思はなかった。彼らは護民官選挙の管理人マルクス・ドゥイリウスと共に集会場へ現れると、再選の意思がないことを宣言し、悪名高い十人委員会と違って筋を通すことを称賛された。
※この「ウォルスキとアエクイとの戦い」の解説は、「ルキウス・ウァレリウス・ポティトゥス (紀元前449年の執政官)」の解説の一部です。
「ウォルスキとアエクイとの戦い」を含む「ルキウス・ウァレリウス・ポティトゥス (紀元前449年の執政官)」の記事については、「ルキウス・ウァレリウス・ポティトゥス (紀元前449年の執政官)」の概要を参照ください。
- ウォルスキとアエクイとの戦いのページへのリンク