イヤーエイク・レコード時代(1993–1999)
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1993年、イヤーエイク・レコードと契約し、初のスタジオアルバム「Everyone Should Be Killed」をリリース。間もなくギターのオルドネスが解雇され、代わりにポール・クレイネクが加入するが直ぐに脱退。この年、サンフランシスコのライブでセスが観客の女性をマイクで殴り逮捕される。1995年、ギターにジョン・コジックを迎え、2ndスタジオアルバム「Top 40 Hits」をリリース。この頃の楽曲の多くは、ノイズコアからファストコアへとスタイルを変化させていった。1996年、初の日本ツアーを終え、ギタリストにスコット・ハルを迎えた3rdアルバム「40 More Reasons to Hate Us」を発表。スコット・ハル脱退後、ギタリストにジョシュ・マーティンが加入。 1998年、叙情的なフォークソングをセスが裏声で穏やかに唄うアコースティック・アルバム「Picnic of Love」をリリース。
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