イベリア半島における実戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/02 00:14 UTC 版)
「ブラウンシュヴァイク=リューネブルク猟兵」の記事における「イベリア半島における実戦」の解説
ポルトガルに着くと、ブラウンシュヴァイク猟兵はウェリントン公の指揮下に入り、イギリス軍やハノーファー選帝侯領 (de:Kurfürstentum Hannover) の軍とともにイギリス軍の旗下(国王直属ドイツ人軍団 (King's German Legion) もしくはKGL)でポルトガル、スペインや南フランスの各地を転戦し、フザール連隊の大部分はシチリアでも戦った。 歩兵は分散してイギリス軍の様々な師団、中でもロウリー・コール (Lowry Cole) 中将指揮下の第4師団 (4th Division) に配属されている。そしてフエンテス・デ・オニョロの戦い (Battle of Fuentes de Oñoro) 、バダホス攻囲戦 (Siege of Badajoz (1812)) 、サラマンカの戦い (Battle of Salamanca) やヴィットーリアの戦いなどの戦闘に参加し、程なく名声を博した。 しかし友軍のイギリス兵はウムラウトを含む「Oels」(エールス)の正しい発音に苦労したので、やがて彼らを冗談半分に「owls」(オウルズ)と呼ぶようになった。「Oels」を下手に発音した場合、それは「owls」(英語でフクロウのこと)にとてもよく似て聞こえたからである。
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