イスファハーン遷都
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 06:35 UTC 版)
「アッバース1世」の記事における「イスファハーン遷都」の解説
1598年にはカズヴィーンからイスファハーンに遷都する。新都と旧市街の中間に「王の広場」を中心に「王のモスク」(現イマーム・モスク)などのモスクが立ち並ぶ公共空間が建設され、ペルシア系、テュルク系の宮廷の人々のほか、アルメニア商人やインド商人など遠隔地交易に従事する多くの異郷出身者が住み着いたイスファハーンの人口は50万人に達した。 アッバース1世の治世のもとでイスファハーンは壮大華麗、大いなる繁栄を遂げたため、「世界の半分」(エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン)とまで称された。
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