アーザル・ナフィースィーとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 評論家 > 評論家 > 文芸評論家 > アーザル・ナフィースィーの意味・解説 

アーザル・ナフィースィー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/12 09:39 UTC 版)

アーザル・ナフィースィーペルシア語: آذر نفیسی‎: Āżar Nafīsī、1955年 - )は、イラン出身の英文学者。現在はアメリカ合衆国ワシントンD.C.に居住している。日本語では アーザル・ナフィーシーの表記もある[1]

テヘランに生まれ、父親が元テヘラン市長、母親が国会議員の家庭に育つ。13歳から欧米に留学をして、オクラホマ大学で英文学の博士号を習得した[2]。1979年にイランに戻り、テヘラン大学、自由イスラム大学、アッラーメ・タバータバーイー大学で英文学を講義し、1997年にイランを出国した[3]

1997年にアメリカへ移り、ジョンズ・ホプキンズ大学高等国際問題研究大学院(SAIS)外交政策研究所の客員教授として2017年まで教えた。ムスリムと非ムスリムの対話の場をネット上で行うSAISのダイアローグ・プロジェクトのディラクターも務めた[4]

主な著書としては、日本語にも翻訳された『テヘランでロリータを読む』(2003年)がある。この本では著者とその学生を中心に密かに行われた女性だけの英文学の個人授業の様子を中心に、イラン・イスラーム共和国の全体主義的な神権政治の中でのイラン女性の心情を機知や風刺なども交えながら描いている[5]。その後、家族を中心とした回想録『語られなかった物語』(2008年)、アメリカ文学論『想像力の共和国』(2014年)、ナボコフ研究書『別の世界ーーナボコフと亡命の謎』(2019年)などを発表している[4]

彼女自身はシーア派ムスリムであるが、バーブ教ファーテメ・バラガーニーをイランのフェミニズムの創設者と評価したり、『テヘランでロリータを読む』の中でバハーイー教徒への迫害に触れるなどの面もある。

主要著書

  • Reading Lolita in Tehran, 2003. 邦訳『テヘランでロリータを読む』 市川恵里訳、白水社2006年

脚注

出典

参考文献

  • アーザル・ナフィーシー 著、市川恵里 訳『テヘランでロリータを読む』河出書房新社〈河出文庫〉、2021年。 (原書 Nafisi, Azar (2003), Reading Lolita in Tehran 

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アーザル・ナフィースィー」の関連用語

アーザル・ナフィースィーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アーザル・ナフィースィーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアーザル・ナフィースィー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS